|
|
|
|
|
◆軽量入試や自己推薦で学力劣化、仕事を覚える上で最低限の学力も疑わしい応募者 |
|
ずいぶん前のことであるが、共通一次試験が始まった(1979年)。この当時に高校生だったのだが、進学希望なら、始まったばかりのこの試験はほとんど全員が受けることになった。英数国と、理科社会が2科目ずつで、そこで点数が悪いと、地方大学に行くか、私立大学にするかということになった。いずれにしても、高校卒業にふさわしい基礎学力があるかどうかの洗礼があった。しかし、この制度は、旧帝大を残して大半の国立大の地位を下落させ、併願先に過ぎなかった私立大学の地位を急上昇させることになった。この制度の前、西日本では国立か公立の大学に受かれば、私大に行くなどありえない話だった。東日本はやや事情が違った。大学の就職事情が激変していくのもこの制度が時代を画している。
その後、私大人気が高まり、時代がバブルになった。地方国立大は勉強に専念するのには物価も安いし、研究環境も優れている。しかし、文化的な東京一極集中で、高校生は我先にと東京を目指すことになった。
ところが、私立大学に優秀な学生が入るようになったかというと、そう話は単純ではない。今仮に優秀な学生とは就職良好度が高い学生とする。そうすると、ある地方の女子大の場合、数学の学力が良好度と関係していることが明らかになった。そして、数学の学力は出身高校と相関オているので、結果的に有名公立高校出身の場合、就職が平均するとよいという結果になった。もちろん、この言い切りがどの程度可能なのかは、検討の余地もあろう。
ある私立大学の経済学部での話である。この大学は偏差値が60程度であり、トップクラスではないものの、優秀な学生も多い大学である。就職も地域ではもちろんトップであり、実は地元の国立大よりも良好である。大変結構なことだが、歴然とした事実があるそうだ。それは学生たちを追跡調査すると、受験した学生の半分近くが筆記試験の段Kで落とされており、調べて見ると、これがSPIという試験で、出題レベルとしては小学校高学年、そして中学レベルということだった。つい最近の話だが、この時点でSPIなるものを知った教授も多かった。
SPIはご存知のように言語と非言語に分かれており、私大文系の学生が難儀するのは非言語である。そもそも小中学校時代に数学を苦手としていた者が多く、その上、高校にもよるが、高校1年の段階から数学をほとんどやらなくなっているのだから、勘が鈍るだろう。そこで、この大学では「経済数学」と称して分数レベルまで算数を振り返り、学生が1年次から少しずつでも学習するように支援することにした。
実は就職指導はいくつかの大学で行い、最初に強調するのは非言語の対策を半年以上かけて行なうこと、業界研究を行なうこと、仕事内容をよく確認することや、卒業して5年先、10年先、どこで暮らしたいかを親とも話し合うこと、などである。
しかし、これらのアドバイスは大半の学生が聞き流す。特に悲惨なのは、筆記で落ちる学生はその手の試験を行なう企業をほぼ全滅してしまう。筆記試験が全てではないが、その人が中1レベルの数学もほとんど解けないかどうかは簡単な試験で判定できる。何度も学生にアドバイスオたが、就職活動が終わるまで対策本は見ることなく、同じような失敗で落ち続けた。心底、算数は嫌いなのだろう。こういう学生を大量発生させている入試の仕組みはそもそも社会問題である。
学生は是非とも1年次から小学生になった気持ちで算数をやるべきだし、大学は英語や第2外国語を選択にし、数学を必須にし、高校1年で履修する「数学Ⅰ」は何とかこなすようにすべきだろう。定員の3割程度でも、数学を必須にした試験をすべきである。ちなみに、英語の試験をやっている企業はほとんどない。
ついでに言えば、学生は業界研究も、仕事内容の確認も、何度も言っても聞き流して確認しない。また、長期的なライフプランを聞いても、企業の人事担当にうまく丸め込まれて入社する先を決めてしまう。そして、1年そこそこで地元がいいとやめてしまうことがある。名立たる有名企業からの内定を迷った末にすべて蹴り、そして振り出しに戻って地元の中小企業に進んでしまうケースもあった。
最近、大学の多くは定員の3割程度か、それ以下しか一般入試を行なわないケースがある。東京のある私大の場合、まさしくその例で、多数派を占める受験なしの高校生を通信教育などの方法で徹底的に教えるそうだ。もちろん、大学教員は専門性が高いが、中等教育の教員資格はな「し、そのスキルもない。また、学生たちも受かっているのに、どうしてやるのか、と思うだろうから、モチベーションは高まらない。
大学が入学ルートを多様化し、全人格的に有能な人物を学生に迎え入れる試みは必要である。お受験育ちで企業が求める人材群が大量に作り出されているからである。しかし、知力、体力、気力とバランスの取れた人材を求めるあまり、高校卒業程度の基礎学力を軽視することはあっトはならない。それが今の大学には起こっている。一方、企業は以前、あまり強調しなかった基礎学力の重要性を採用条件に挙げている。
大学は文科省の設置基準によって運営されている。もちろん、不適正と烙印を押されてもわが道を行く大学もある。大学に置かれる講座は、シラバスまで管理されているので、学生がちんぷんかんでも、その内容をやらないといけない。大学進学率が5%程度の時代は講座制での運営でも可能だったかもしれない。しかし、今は6割も進学してしまう。大学によっては9割以上の授業内容が意味不明なケースもある。そして、大学の収入において受験料が非常に大きいので、例年、出願状況を見て総長や学長、塾長などが金切り声を上げト檄を飛ばし、翌年以降の対策を即効で打つ。そんな大学にとって入試の軽量化や自己推薦はマリファナみたいなもので、依存性・常習性があり、癖になってしまう。
企業はこうした大学に学生のレベルアップを要求することは困難である。心ある企業は、自社で筆記試験を開発し、メンテをして、国語力、数学力、社会常識、性格テストなどを実施すべきである。何度も実施しないといけないので、手間もあるが、選考段階の中で何度も筆記試験をsなうことも考えられる。ただ、筆記はあくまでも絞込みであり、決め手にはならない。しかし、筆記試験をすべきだし、自社版を開発すべきである。
企業は採用時期になると、何度も何度も学生との面談を行なうため、関係者は疲弊している。明らかに合格基準に満たない学生でもある程度の時間を割り当てないといけないので、それが一番辛いそうだ。そういう意味においても筆記試験でうまく選考すべきである。
|
|
|
|
|