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◆人権尊重に配慮したコンプライアンス面接とは |
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採用選考は自社で活躍する人材を選考する面談であるが、同時に不特定多数の社外の人々と面談する機会でもある。その人々は自社の顧客にもなりうるし、すでになっている可能性もある。しかも、厳選採用になっている以上、面談は落とす場合のほうがはるかに多いはずである。実ヘ面談の途中で相手を不採用にすると決めてしまってからの応対が非常に重要であるし、そのことに配慮できる面接官は、入社させたいと考える学生の応募動機を高めることにも成功する。受検者は面接試験に突破したいと考えているが、面談を通じてここで働けるかどうかも確かめている。面接官の言動や態度を通じて、その会社を知ろうニしている。それは極めて部分的な接点でしかないにもかかわらず、学生たちの判断はそこでの情報や心象が極めて大きい。
新人として学卒者が入れば、呼び捨てにしたり、時には指導育成のために叱咤激励し、怒鳴ることもあるかもしれない。しかし、入社していない学生はあくまでもお客様である。そのことは重要な事実でありながら、見失われていることも少なくない。
採用選考については人権上の問題としていろいろな指針が示されている。このことが徹底されないまま、面接官を選んで担当させていないだろうか。そればかりか、採用担当者自身が人権意識に乏しい場合も結構ある。この場合、あえて言うが、人権問題は建前の部分もあるし、本音が違うことも認める。しかし、堅持していないと、会社の採用活動自体が揺らいでしまう危険性がある。
厚生労働省が作成した『公正な採用選考をめざして』によると、応募者の学校名を伏せた書類を好事例とし、家族の職業や購読雑誌、帰省先を明示させるのは問題事例だとしている。現実には官公庁自体が指定校制を取っているとしか思えない採用なのに、そういう採用方法が現実的なのか、疑問は残る。一方、家族の職業などはかつての応募書類に書かせるケースが時Xあった。こういう場合、確かに内定をもらってもすっきりしない面もある。さらに、スリーサイズ、血液型、星座などを書かせるのも問題だとされている。現実的に男女問わず、容姿不問の採用はありえない。しかし、応募書類に書かせるのはまずいだろう。
思想信条、宗教も気がかりになるかもしれない。実際、一般的な意味での勤務と両立が難しいと考えられる布教活動を行なう宗教団体もあるし、毎週教会に絶対に行かないといけないので、転勤ができないというケースもある。しかし、これらを採用基準にしていると、微塵でもにおわす場合、l権侵害になる可能性がある。
人事担当にはお受験育ちの学歴エリートが多いことは以前にも指摘した。それゆえに、価値観や人生観に許容度が低く、有名大学から有名企業に入社し、精勤すこと人、企業が好まないことには一切関わらないことが生きていくうえで絶対条件と信じている人も多い。それはそれで1つの信条である。しかし、それゆえに、自分の信条に合わない生き方を一切否定し、拒否し、さげすんだ態度を取ってしまう。
実際、そういう言動は多く聞かれ、その蓄積が大学世界の一部に、企業社会全般を嫌悪する学風を生んでしまっている。日本においては経営学の主流は、企業行動自体が罪悪であり、そこで蔓延している価値観が間違っているという発想に基づくものである。論文を書いても、役に立ツ議論よりは、企業の存在自体があたかも悪であるという論調のほうが評価されやすい。そういう事情もあり、企業は大学時代に、社会科学を熱心に勉強した学生を好まないという時代が長かったのである。
いずれにしても、人事担当と面接官は、自分たちの価値観は入社した社員には共有化させたいと考えても、面接を受け手に来ている人には共有化されていないし、強要することもできないことを、改めて自覚すべきだろう。
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