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◆=シリーズ= 米国型人事評価と日本への示唆 【第1回】 日本における「米国型」理解の問題 |
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日米の違いはどこにあるのか
日本が独自の特質を持つのか、また持つべきなのかについてはこれまでも活発な議論がなされてきた。明治になり開国後、列強の帝国主義に伍していくため、殖産興業を推進し、いわゆる「脱亜入欧」(福沢諭吉)を目指すなか、和魂洋才という言葉も生まれた。近世江戸の封建遺風を残しつつ、近代西洋の学術や技術の移入を積極的に進めてきたが、敗戦によってそれまでの社会システムはあえなく崩壊した。戦後はGHQによって実質的な近代化、民主化が推進されたが、一方で「40年体制」(野口悠紀夫)といわれる戦時体制が残ったとも指摘されるし、もう一方では戦時体制解除のために歪な国家体制のまま今日に至ることにもなった。また企業組織内の体質の変革は埒外に置かれたといえるかもしれない。バブル崩壊までの日本は、高度経済成長を享受し、自M喪失してきたところ、70年代は日本再評価論が出てきた。例えば、エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』はあまりに有名であるし、ジェラルド・カーティス『「日本型政治」の本質』は、「自民党支配の民主主義」による日本政治の分野における「普遍的価値観と行動規範」を評価した。
90年代以降は、日米構造協議のように海外からの圧力が新たな問題となり、日本的特質を「ジャパン・プロブレム」とする見方が注目された(カレル・ヴァン・ウオルフレン『日本/権力構造の謎』)。それは一般にリビジョニストともいわれている(浜口恵俊「日本研究の新たなるパラダイム」梅原猛編著『日本とは何なのか』)。青木保は、日本文化に関して、(1)否定的特殊性の認識(1945~54)、(2)歴史的相対性の認識(1955~63)、(3)肯定的特殊性の認識前期(1964~76)、後期(1977~83)を経て、現在は、(4)特殊から普遍へ(1984~)という段階にあると指摘する(『「日本文化論」の変容』)。もはや日本特殊論への固執は時代遅れであって、グローバル化を目指すべきだという動きや意見(中谷巌や竹中平蔵、伊藤元重など)が示される一方で、そこに潜む危うさを指摘する声もある(金子勝のセーフティネット論のほか、内橋克人『規制緩和という悪夢』、本山美彦『倫理なき資本主義の時代』など)。
人事労務に関しては、ILO批准国にありながら労働法上、労働者権利確保の遅れなどの問題が指摘される一方(菅野和夫など)、賃金・処遇に関しては、「日本型」なる言葉が常に飛び交い、従来型の制度や特質を残そうとするハイブリッド化が志向され、実質的に年功序列型賃金も温存されてきた。今日、成果主義がいわれ、早期抜擢や成果連動型処遇が議論されても、年次管理そのもフが一掃されているわけではなく、依然として年功意識は企業の大小を問わず根強く残っているように見受けられる。長期雇用システムについても、それは「知的熟練」を評価するという見方もあるし(小池和男『仕事の経済学』)、内部労働市場が高度に発達している反面、その外部労働市場との接合はされてこなかったという指摘もある(樋口美雄「経済環境の変化と長期雇用システム」『日本の雇用システムと労働市場』)。いずれにしても、企業は今、人事労務の根幹を見つめ直す時期に来ている。なかでも、人事評価については、コンピテンシーやバランスト・スコアカードなど新たなトレンドが長期間にわたって注目されてきている一方で、その混迷と迷走を冷ややかにみる視点も示されている(玄田有史や一條和生など)。
日本における米国型人事評価の移入の特徴
日本は、人事管理の先進国である米国の手法としてこれまでもさまざまな技法や理論が紹介されてきた。しかし、その紹介のされ方も普及の仕方も独特かつ偏向的であって、米国では注目度の低いものが日本ではそれを米国型として礼賛する向きがある一方で、米国で標準的とされ確立されているものがほとんど紹介すらされないということもあった。まして系統立った解説は極めて乏しく、実務家の専門性も到底高いとはいえない。日本的なる展開の典型として、目標管理にその問題をみることができる。目標管理は、業績評価の一手法として解説されることもあるが、人事管理や人事評価の一般的なテキストには動機付けのための目標設定としてのみ取り上げられる(ラザムが有名)が、はるかにそのウエートは低くなっている。北米の人事実務家が一般になじんでいるサイトや雑誌などをみても、MBOが今日的問題として議論されたり重要な技法として紹介されることはほとんどないといってよい。日本におけ驍lBOを研究する奥野明子も目標管理の効果測定に関する論文をサーベイし、その結果、英語圏でも目標管理に関するものは60年代から70年代が主で、90年代になると同様の研究はかなり少なくなるという。幸田一男は、日本における目標管理の展開に重要な意義を持ったシュレイの翻訳もかなりゆがんで解釈されたとしている(『最新目標による管理』)。
結果のわりつけという考え方はいつしかノルマ管理になってしまった。 MBOの理念的な嚆矢であるドラッカーは、人事評価のテキストでほとんど取り上げられていないばかりか、米国における人事マネジメント分野ではキーマンとは思えない。筆者が過去数年にわたって読んだ英語圏のHR関係の文献でもドラッカーへのリファレンスはほとんどない。}ズローにしても、60年代米国における一時的ブームであって、主要HR系サイトではごくわずかしか注目されていない。
またコンピテンシーはどうだろうか。90年代前半から半ばにかけて、コンピテンシーが注目されたことは事実である。しかし、報酬決定などにリンクさせることには否定的な見解が主流であって(ローラーなど)、その導入領域は採用やトレーニングに狭く限定されているという調査結果もある(スクノバー調査やシャスタ[=ジングハイム調査など)。 90年代後半になると、コンピテンシーという用語を使うことも慎重に避けているのか、それに該当する用語法は成功特性とかキー要因という表現が好んで用いられ、近年の主要なコンファレンス(ASTDやSHRMなど)でもコンピテンシーに関するものは皆無に近い。人事評価や職務分析のテキストをみると、コンピテンシーモデルのベースとなるクリティカル・インシデンツ・メソッド(フラナガン)について職務分析では簡便ながら問題の多い技法と書かれており、コンピテンシーにもまったく言及されていない。「高業績者の行動特性によって組織のパフォーマンスを向上させる」という議論は一部のコンサルタントによってのみなされているにすぎないと見受けられる。どうも傍系的な論議であるとしか思えないし、Competentとはそもそも並程度のことを意味するにすぎない(南隆男)。
このように米国HRMの紹介や移入が偏ってきたことは、人事評価や人事管理の基礎となっている産業・組織心理学が日本で未発達であり(高橋潔や佐藤幸一など)、紹介にかかわる識者の専攻分野も心理学以外のものということがほとんどだったことが無関係ではないし、コンピテンシー一つ取っても、参照される文献の範囲はあまりに狭く偏っている。米国における人事実務家やコンサルタントは、産業・組織心理学における博士号を前提としている。あえて彼我の国情の違いを、優劣で語ることは避けるが、少なくとも米国では、人事実務に関して研究も議論も多様な立場から活発になされていることは否定できない。本稿では、米国の人事評価の実情として、特に業績評価を中心に紹介したい。
結果重視の業績評価はどう議論されているか
米国の業績評価は、結果重視であり、そのプロセスや裁量性はあまり問わないとする見方もある。しかし、そこにはまったく何の根拠もなく、それは単なる神話といえるかもしれない。むしろ日本における業績評価こそ結果本位で個人の統制可能性を看過しているのではないだろうかB今日、バランスト・スコアカードが注目されるが、その中心的意義は、先行指標の重視による戦略発想の喚起である。ただ、日本における成果主義とは、ある意味で結果主義(Result-based)であって、その意味でもこの問題を考えておく意義がある。
米国においては、業績評価の方式についてどのようにみているのだろうか。米国におけるスタンダードなテキストの一つにアーモッドによるものがある。その第7章で、従業員の業績評価(Evaluating Employee Performance)について解説がなされている。ここには、業績評価の方式として、①特性重視の業績評価方式(Trait-Focused Performance Appraisal System)、②行動重視の業績評価方式(Behavior-Focused Performance Appraisal System)、③結果重視の業績評価方式(Result-Focused Performance Appraisal System)、④尺度活用型評価(Scale Used to Rate Performance)などが示されている。
このなかから、今回は、結果重視の業績評価方式を紹介したい。結果重視の業績評価とは、従業員がなし遂げたことによって行い、その達成度合いに中心を置くものである。これは、ボトムライン(最終成果)に対する貢献度によって、つまり会社に対してどれだけの明確な成果(tangible outcomes)を出したのかによって、従業員を評価するものである。
結果重視の業績評価については、従業員が会社から求められていることをすべて行うことができてもなお統制できないことによって要求された成果を得られないという点が問題であると指摘されている。例えば、金利について競争力がない場合、銀行の窓口担当者は顧客を得ることがナきないだろうし、ほとんど自動車がないのに警官がパトロールしてもたくさん検挙することはできない。また担当地域によってセールスの実績が上がらないことも大いにある。エアコンを例に取れば、売り上げは、営業担当のスキルだけではなく、担当地域の特性や気候、前任者と代理店の関係などによっても決定付けられる。
またこの評価基準では混濁(contamination)を免れないと指摘されている。ここで意味することは、実際の業績(パフォーマンス)以外の部分で決まっていく要因がいろいろあるので、業績評価について混濁が生じかねない。そこで、評価を調整する方式を決定することが重要となる。
この方式では、共通する基準が幾つかある。「仕事の量(Quantity of Work)」「仕事の質(Quality of Work)」「出勤状況」「安全性」などである。仕事の量では、売り上げ、件数、動員数などがある。しかし、量による評価は客観的なようだが、しばしばミスリーディングになってしまう。一つには、混濁の問題があるし、経理や技術職など多くの職種では量ではかること自体が実際的でもないし不可能だ。
仕事の質では、基準に対してエラーがないかによって評価されることになる。すなわち、なんらかのモデルに対してどうだったか、サイズや成分などの基準に対して到達度合いがどうだったか、で決められる。ケンタッキー・フライドチキンでは、抜き打ちで販売商品を検査し、温度や重量をチェックしている。注意しておきたいのは、エラーという以上、誤差(deviation)があることである。これを見失うと、過剰品質でコスト高になってしまうし、品質エラーに関しては、とんでもないことがたくさん起こりかねない。
出勤状況とは、出怠勤であり、安全性とはトラブルがなかったかである。これらについても詳述されているが、ここでは省略する。
なお、業績評価に関して、グローテの本もよく読まれている。『業績評価完全ガイド』と題する文献の第3章には、実在者(Performer)、状況(Situation)、行動(Behavior)、結果(Result)という四つの要素があると指摘されている。実在者を基準にした方法に特性尺度、行動基準の評価法の代表的手法に「行動アンカー方式」「行動頻度尺度」、結果基準の方式として「MBO評価」が紹介されている。同書にはMBOが挙げられているが、文献によっては記述がないこともある。
では、これらをどう読むか、日本の実情から考えてみたい。
人事評価制度における「業績」問題
日本における人事評価の区分は古典的には、成績/業績、情意/意欲態度、能力/職能の三つである。職能資格制度の意義の一つは、「ありのまま」みる成績/業績だけではなく、能力/職能をしっかりと見つめることにあるとされてきた(楠田丘など)。今日では、コンピテンシーが登場してきて能力評価を補完ないし代替し行動評価するという提唱や試みも多数されている。
また90年代後半から特に顕著なことだが、結果重視の業績評価を掲げる成果主義が注目されるようになったし、もとより目標管理と連動させて個人単位での実績を重視する動向が多くの企業において散見される。個人スキル以外の要因を考慮することはもちろん煩瑣で、公平性の確保は困難だとしばしば強調される。しかし、周辺問題は少なくない。
業績が上がっていると、その担当は寛容になり、本来すべきである追及や指導育成も甘くなってしまう。顧客サービスの向上という視点もついつい見失われることになろう。また逆に業績が上がっていないと、すべからく追及することになるが、そもそも従業員がやるべきことはすべトやっていると今仮定すると、もはや対策がないわけで、会社としてどうすればいいのかを具体的に示してやることができなくなる。そのため、育成という観点が見失われる危険性があるし、モチベーションの維持からも顧客満足からも懸念がある。
また業績確保の途上で回避すべき法令やルールの遵守が徹底しにくくなる結果、発覚するまで不正行為や違法な措置を看過、ないし暗黙のうちに助長することにもなりかねない。近年ではそうしたことからの企業事件も生じ、かつ業績評価が問題になっている。
また適切な人材の登用にも支障が生じ、適性に乏しいマネジャーを輩出してしまうリスクがある。配置や時期などの僥倖で高業績を計上しているうちにリーダーとしての適性に問題が生じ、組織に破滅的な損傷を引き起こすことになりかねないというリスクも、ディレールメントとして指摘されている(ロンバードやマッコール、永井隆雄など)。
結果評価の一つに出席状況があるが、暗黙のうちに「有給休暇」の消化状況が業績評価に加味されていたり、しばしばあることだが、会社における滞留時間を考慮してしまう。「いつも朝が早い」とか「遅くまで頑張っている」というたぐいの行動を勘案しているので、意味もなく会ミに滞在しているし、仕事と生活のバランスを確保できないでいる。これによる機会損失や非効率は計り知れない。
さらに、どうやって業績を上げるかという発想を中断させてしまっている。いかにして成果を生み出すかという方法や戦略を考えるというスタンスよりも、ただ祈るように運に任せることになりかねないという戦略発想の貧困化という問題があるが、これとて長年の間に麻痺してくる烽フだ。
これらの問題は実に頭の痛い問題だが、多くの企業に散見されることでもある。
業績評価に関して米国ではこのほかどのような手法があり、どのような議論がなされているのだろうか。またどうすればこのような諸問題を打開する糸口があるのか、さらに詳細を紹介していきたい(文中敬称略)。
参考文献(文中紹介を除く)
①Michael Aamodt “Applied Industrial/Organizational Psychology Third Edition” Brooks
②Dick Grote “The Complete Guide to Performance Appraisal” Amacom
③Dick Grote “The Performance Appraisal Question and Answer Book” Amacom
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