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◆中国地方政府における人事改革-公開選抜を中心に |
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1.問題の所在
改革開放後、現代中国は急速な経済成長を遂げてきている。一方で、環境問題の噴出、格差問題の深刻化、大卒者の就職難など新たな文明病との格闘が生じてきており、2007年にはようやく中国政府も経済成長と調和のある仕組みづくりを志向し始めるようになった。90年代後半以降、日本は多額の現地投資を行ない、中国に生産拠点をシフトしてきた。2000年以降は優秀な技術者を求めるようになり、たとえば、松下電産は2003年時点で、新卒の技術者の採用において日本人と中国人の採用数を同数にしている(ワークス,2003)。そして、90年代後半に中国科学技術院から起業化し、一気に世界的なシェアを持つ家電メーカーに駆け上がったハイアールや、同様の急成長を遂げたPCメーカーであるレンシェン(聯想)はベンチャー企業の成功例として世界の瞠目を集めている。一方で、社会体制が根本的に社会主義ないし共産主義であり、民主化されていないことから、多くの政治問題が指摘されている(シャーク,2008)。そして、日本では中国脅威論もあり、中国とのやり取りに警戒すべきだという意見もあり(櫻井,2008)、それはメディアの論調を見ても主流である 。
中国におけるマネジメントは年功的な人事管理や拘束的な組織マネジメントから抜け出せない日本企業にとって新たな経営モデルとして関心を寄せつつある。中国は今日、統一的な中国モデルと言える経営労務の仕組みを示しているわけではない。伝統的な人事労務管理の仕組みから徐々に抜け出しつつある国有企業や地方公務員、一方で米国以上に競争重視のIT産業などのベンチャー企業、模索しつつある在中国外資系企業 、より安い賃金を求めつつ時間給、日給で雇われる圧倒的多数を占めるブルーカラーなど多くの雇用モデルが併存しつつある 。しかし、異なる企業や組織を横断して労働市場が拡大し、流動性を高めつつある今日、ホワイトカラーで最もボリュームゾーンになっているのはやはり中国地方政府の公務員であると考えられる。そこで、本論文では、中国地方政府における人事管理を探求し、そこから日本企業への示唆を考えたい。中国地方政府における人事管理はこの数年、激変しつつある。その模索は海外からの影響を受けたわけでもないのに、ある意味で先進的で、革新的な試みが多く進められている。
2.中国における公務員の位置付け
中国にはおよそ800 万人の公務員が実在しているが、日本で議員、すなわち政治家に相当するものを含む公務員組織は共産党一党独裁を体制にある中国において中核的な組織である。改革開放後、人の動きも活発化し、公務員を飛び出して起業を行う者が出てきたり、先行きへの明るい展望からより高い地位を求める志向がますます高まっている。このことは中国南部で実施された質問紙調査(永井,2007;永井・蔡,2008)1でも明らかにされており、自分の業績評価が高い場合、あるいは業務処理や人間関係が比較的うまく行っている場合、むしろ上位の職位を求めて異動を希望する場合が多い。常識的に考えれば、現在、仕事も人間関係がうまくいっている場合、その職位、職場にとどまりたいと考えるように思われるが、そうでない点が現代の中国の特徴かもしれない。
中国においては中国共産党が公務員組織の人事権を握っている。地方政府の場合、具体的には省、その下に市、さらにその下位組織である県があり、それぞれに中国共産党支部が置かれている。例えば、中共福州市支部があり、その支部の書記は「福州市党書記」と通称で呼ばれ、市長よりも上位の権限を握っており、地位は高い。党書記、市長、副党書記、副市長、党書記秘書といった序列がある。秘書の実権、地位は高い。
3.調査の内容
3.1 調査の方法
2007年9月15-19日及び2008年6月5-9日にかけて福建省を訪問し、R市及びF市、Z市に赴き、地方政府関係者20名にインタビュー調査を行なった。対象者は日本に留学経験のある管理職および、その紹介を受けた公務員である。なお、インタビューに際しては蔡賢達氏(当時、九州大学大学院留学生)の協力で、通訳などの支援を受けた。
3.2 調査の結果
聴き取りによると、中国共産党の組織部 では近年、2つの大きな問題を認識しているという。1つは昇進させる場合、その対象者の過去の人事考課結果の総合持ち点がおおむねバランスしており、公平感があるということである。同格とされる職位にそれぞれ就く人物が二人いるとして、その人たちに関する業績、能力などの評価がおおむね同じでないと、不公平であるという関心が近年強いという。それを整合させることが組織部長の腕の見せ所になってくるという。その背景は1つに経済発展に伴い、公務員以外の職で条件のよい仕事があるので、処遇や人間関係、自分に対する評価などについて不満がある場合、公務員が離職してしまうという切実な問題があるそうである 。
もう1つの問題は、部門・組織間の評価のアンバランス、ばらつきである。中国地方政府では人事考課に関して統一の書式も基準もなく、そういうものが徹底されているわけではない 。また仮にあっても、そのようなものは有名無実で、結局、その人を上が評価するのかどうかが問題になってくる。踏み込んで質問をすると、中心化傾向、厳格化傾向、寛大化傾向、好き嫌いだけに評価の横行など多くの問題が発生しているようである。そもそも全体のバランスを考えつつ、考課の結果を整合するという発想は現場の責任者には希薄である。
ある地方政府(中国南部のある県)の場合、人事評価は、各部門でまちまちに行なっており、統一性が全くない。各人に関して5 段階程度の総合評価が報告されることになっているが、ほぼ全員を最高評価とする報告もあれば、ほぼ全員を普通程度という評価してくる組織もあるという。そして、部下の評価をおしなべて低く評価するケースもあるようだ。部門によってそれなりの基準がある場合もあるが、統一されているわけではない。ただし、評価することへの関心が高いので、次のような観点で評価されてくるのが最も多いということだった。
<中国地方政府における業績評価基準>
① 上司との人間関係
② 同僚との人間関係
③ 仕事の出来栄え(能率、有効度合い、ミスの多寡など)
④ 仕事ぶりに対する周囲の評価(周囲とは上司を除き、仕事に関する関係先を重視する)
人間関係という要素がやや色濃く、多義的な側面があるが、成績と組織における態度という読み替えができるだろう。その場合の成績も、上司が期待し要求するものというよりも、その人が仕事上関わり、影響する各方面ということになる。このような評価の方法だが、多面評価の発想がある。多面評価(Multi-rater)は90年代の米国で流行し、人事管理系のジャーナルであるHuman Resource Managementも93年の特集を組んでいる。しかし、2000年頃には徐々に下火になり、見直しをされている。一方、日本ではコンピテンシーとともに紹介され、大手企業を中心に人事考課を補完する仕組みとしてかなり普及している。中国地方政府に関する限り、独自に考案されたものであり、米国や日本のものが伝播したわけではない。
中国における人事制度は職位を中心にした職階制度である。職位には権限が付随しており、名ばかりの称号や資格が仮にあっても全く意味を持たない。中国では日本と異なり、公私混同が常識であり、職位に付随する経費はかなりの部分、私的に流用されることに違和感がない。たとえば、ある職位の場合、現金給与は月給2000元(日本年で約3万円)だが 、年間予算が300万円相当である。これには社用車の費用、運転手の賃金、お土産代などが含まれているが、日々の賄い(本人および運転手の食事代)や、打ち合わせのためのサウナ代(日本と異なり、喫茶店のようなものがないため、食事を終えると地域にもよるが、サウナやマッサージ店で雑談することが多い)などが含まれている。また職位があると、打ち合わせなどのために食事をする機会も多い。そうした場合、食事代は割り勘で払うことはなく、誰かの経費で処理されるのが一般的である 。したがって、一定の職位に就くということは、自由になるお金が付随することになり、賃金による格差はあまり重要な意味を持たない。
なお、一定の地位(地方政府の局長や部長職など)に就いている人の財産状況などをヒアリングすると、ほぼ100%が持ち家で広さは日本よりもかなり広く100平米程度が普通である。福建省の地方都市の場合、この住宅は500万円相当で、内装や家具などを含めると、1000万円相当になる 。また、持ち家と別に、別宅を持っている人もいる。子弟を海外留学させている人も多い。
中国の地方政府を図に示すと、次のようになる(図1)。指摘するまでもなく、一党独裁の中国では、中国共産党が政府組織の中核であり、党自身は行政組織ではないが、その人事権を牛耳っており、日常的な交流を通じて行政組織を動かすことができる。左側から党組織、狭義の政府機構、人民代表委員会、政治協商会議 がある。右へ行くほど権力はなく、社会的地位はそれなりに高いが、実権はない。党組織には党書記以外に、組織部長、宣伝部長、統一戦線部長が置かれているが、人事をつかさどる組織部長に圧倒的な権限がある。
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福建省の一部の市では現在、公務員の人事改革が進んでいる。これによると、次のような施策が打ち出されつつあり、省全体に普及しつつある。これによると、①徳才兼備、②人材発掘、③創新人事が3つの方針になっている。まず①だが、常識的なことのように思われるが、ある意味で日本以上に学歴社会である中国では、今日、改めて徳が見直しされている 。これは仁義礼智と日本でも有名な徳義であり、儒教の伝統に沿ったものである。また、徳と才では、「徳を先とする」ことが強調されている。もちろん、実際にはそうなっていないかもしれないが、才覚ではなく人徳が最大の人材選考基準であるとされることの意義は大きいと考える。少なくとも、このような看板は極めて最近のことであることを強調しておきたい。
なお、徳とは日本で「南総里見八犬伝」の中で、「仁義礼智忠信孝悌」が出てくることは有名である。このことを、ある留学生に話した際、それは日本化したものであり、中国の教育では教師に対する礼節は強調されるが、友人や同僚に対する義は存在しないという話を聞かされたことがある
。ところが、今回、ヒアリングで確認すると、孔子の示す徳目は原点にかえって重視されているという回答があった。つまり、改めて儒教の精神を復古し、それによって人材選考、人事考課を行なおうという気運が生まれていることになる。ただし、それは緒に就いたばかりである。そして、現実はそれに反する出来事が横行していることを意味する。とりわけ、徳のうち、「廉潔」は元の論語にもないもので、現代中国で強調されている
。これは汚職や、公私混同のネットワークに対する1つの警鐘であると読めるかもしれない。
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また、②では、人材を発掘するために、組織部が各部署からの声を積極的に聞き、うまく仕事ぶりをアピールできていない人に光をあてよ、という方針がある。米国では仕事ができるだけではなく、自らの仕事についていかに付加価値があるかをアピールできないと、評価されないのは当然というコンセンサスがある。したがって、外資系企業では会議が重視され、会議でしゃべらない人は並み以下にしか評価されないとも言われる。中国でも、新しいポストで人材を選考する際、その主要な選抜方法は演説である。これは仕事の実績や今後の抱負をアピールし、それによって決定する方法が現在も幅広く採用されている。しかし、演説の内容とは裏腹に期待に応えられない人も少なくない。こうした現実を踏まえ、こうした方針が出てきたものと考えられる。
さらに③は公開選抜のことを指している。公開選抜とは、新しいポストを内部昇進ではなく、また他部署からの異動ではなく、応募資格を公務員に絞り、幅広く公募し、選考を行なう仕組みである。これについては詳しく紹介したい。
公開選抜自体は以前からも実施されてきた。少なくとも2000年の時点でこの制度は実在し、これによって副市長や協会の副主席などに着任した人がいる。しかし、この数年、飛躍的に増大し、将来的に3割程度をこの制度で昇進させていきたいという目論見があるという。公開選抜は一次が筆記試験、二次が面接、三次が会議である。筆記試験は外注され、一般常識(法律や国家の方針など)、専門試験があり、それぞれ2時間程度の論述である。現状では、筆記試験のウェイトが高い。このことは問題になっているが、過渡的にやむを得ないという見方がされている。面接では、選考委員が人物を選考するが、徳才兼備は1つの目安になる 。そして、会議は1つのポストに5-7名程度まで絞り込んで、今後、そのポストに就いた場合、どうやって運営していくか、抱負や戦略などを討議させ、これを選考委員が観察し、評定する 。そして、最終的に統合会議によって着任者を決める。なお、公開選抜の基本ルールは、客観性、公平性、公開性である。
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人事考課に関しても改革が進んでいる。日本に留学経験のあるK氏は、公開選抜だけではなく、管理職を中心とした人事制度を思い切って刷新した。まず2年に一度だった人事評価を1年に1回とし、1回の考課は2年間有効で、2回の考課の合算で人事考課を行なうことにした。評価票は、①成績、②能力、③政治覚悟の3つの基本的観点とした。この3区分は2007年9月に訪中した際、日本での人事考課は成績、情意、能力の3要素になっており、これが楠田式として日本で最も普及しているやり方であるが、成果主義が進んで、成績ではなく業績 、情意と能力を合算して行動が評価観点になり、大手企業では業績と行動という2区分を採用していることが多いこと、そして行動評価の中身は米国の影響でコンピテンシーとして紹介されているものだとこちらから情報提供をしたことが契機になり、それをK氏がネットなどの情報を参考に独自に考案したものである。そして、K氏のまとまた「能力」とは、日本で普及しているコンピテンシーにほかならない。調和能力とは、K氏によると、対人的な協調性であり、協働性のことであり、リーダーシップの次に重視されている。
政治覚悟は端的に言えば、党や組織の方針との合致度合である。いかに有能であっても、党の方針に沿わない人物に公務員としての昇進チャンスがないことは現実である。いったいどのような方針なのか、見えにくいのだが、元公務員である徐氏によると、「実在する書記との親和的な関係であったり、積み重ねられていく人間関係やネットワーク、人脈の部分もあり、単純に政府の方針を理解し、それに基づいて仕事をしているというようなものではない」という指摘もあった。にもかかわらず、それを「徳」と同義にし、政治覚悟≒徳とするのであれば、そこに疑問も生じてくる。
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4.考察と展望
中国を初めて訪問をしたのは2002年のことであり、そう古いことではない。いくつかのことがきっかけになったが、財界団体職員として90年代前半に、現地に進出する関西系企業のアンケートを取りまとめた際、その人治国家ぶりに唖然とし、しかもまだ中国の経済発展など緒に就いたばかりで、その前時代ぶりに多少なりとも呆れた。しかし、その10年後、現代中国は一変し、従来、大手企業の部品製造などの形で日本経済を支えてきた関西系企業の多くが活躍の主軸を中国に移した。その後、現地調査を行なう機会を得て、少なくとも上海を見る限り、箱物としての都市は東京をはるかに凌ぐものとなり、摩天楼のような風景を呈し、時代の流れを痛感した。その頃、IBMがアジアのヘッドオフィスを東京から上海に移し、今後は各社がそうなっていくという話もあった。
福建省に足を運ぶようになり、年に2回程度の頻度だったが、行く度に景観が変わり、急速に現代化し、欧米や日本などの先進国に追いついていく勢いを感じた。しかし、人事管理や組織の実情まではなかなかうかがい知ることはできなかった。共同研究者を得て、2007年、現地での調査に成功した(永井・蔡,2007;永井,2007)。この調査によると、ステレオタイプにみられる中国人にも性格特性によっていくつものタイプがあり、それによって昇進意識がかなり異なっているということであった。いわゆるN型(不安や神経質の傾向の強い性格)は、日本と同様、中国でも組織内で人間関係に苦慮し、昇進に対する自信のなさを示していたし、開放性が高く、磊落なタイプの人は昇進に強気だった。
中国については言論統制があり、依然としてその調査研究は容易ではない。個人的には中国の地方都市における企業の実態について興味を持っているが、たとえば、そのことについて調査をしたいと思っても、基本的に断れてしまう。中国における大きな組織の問題に国有企業のリストラがある。実態は報酬も払えずに事実上の失業者の巣窟になっているという指摘もあるし、NHKなどの報道でも紹介されている。しかし、この問題は中国の暗部であり、国有企業のリストラは恐ろしい速度で進んでいるという指摘もあれば、牧歌的でまだ大きな問題ではないという意見も聞く。調べたくても確たる情報源がない。こうした意味からしても、今回のヒアリングは中国地方政府が画期的に変わったことを示すものとは言えないし、その意味で限界がある。中国には大卒者の就職難など新しい文明病の到来がある(徐,2008)。最も近くても、今や貿易相手国として最大であり、飛躍的に留学生が増え、日本における留学生の7割以上が中国人である。しかし、一般の日本人は中国に偏見を抱き、必ずしも好感を持っていない。中国でも反日的な番組が日常的に放映され、日本に対して漠然とした恐怖感、違和感を抱く人も少なくない。その意味でも、今後とも、中国の実情を正しく捉え、その改革を見守り、相互理解を深めないといけない。場合によっては日本の人事労務管理に活かすことが必要であると考える。というのも、中国では男女同権、あるいはワーク・ライフ・バランスについても日本よりもはるかに優れた面があり、学ぶことが多いと考えられるからである。これらの優位点がどういう背景で形成され、定着化してきたかについては今後、検討し、報告の機会を持ちたいと考える。
参考文献
徐亜文(2008)「中国における企業の大卒者採用」労務理論学会年次大会報告(2008年6月14日・金沢大学)
李雪(2008)「改革開放の諸政策による中国郷鎮企業の経営行動―雅戈尓集団の事例」経営行動科学学会部会報告(2008年7月12日・明治大学)
スーザン・シャーク(2008)『中国 危うい超大国』日本放送出版協会
櫻井よしこ(2008)『異形の大国 中国-彼らに心を許してはならない』新潮社
ワークス(2003)『中国―競争とマネジメントのダイナミズム』リクルートワークス研究所
共同研究者:徐 亜文(広島国際学院大学)
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