株式会社JEXS
 ◆日本におけるコンピテンシー活用の実際

1. コンピテンシーをめぐる学界と実務界における顕著な温度差

わが国において、コンピテンシーとは、「高業績者の行動特性である」と一般に理解されているが、必ずしもそうではない。またコンピテンシーの嚆矢はマクレランド(McClelland,1973)で、外交官に関する職務分析から編み出されたと紹介されているが、これも厳密に言えば誤りである 。この2点だけでも誤解されている。コンピテンシーとは、特定の職務への採用基準であり、組織内に限って言えば、任用基準のことである。米国におけるコンピテンシーは一般に組織外部から応募しようとする人たちに対してどのようなことが期待し要求されるのかを応募職種ごとに示すものである。したがって、URLなどで広く開示されている。またコンピテンシーの実務書はほとんどが採用関係のもの(recruitmentないしはselection)となっている(例えば、Berman,1997)。これに対して、日本におけるコンピテンシーは原則として非公開であり、社外秘扱いにされることが少なくない 。

字義的に見てcompetencyの形容詞系であるcompetentとは「一人前」という意味であり、とりあえず「仕事を任せられる」というニュアンスである。例えば、看護師についてその能力段階を示したベナー(1992)のドレファスモデルによると、5段階のうち下から3段階目がcompetentであり、「一人前」というレベルであり、その上に「中堅(proficient)」、「達人(expert)」という2つの段階がある 。はっきり言えば、コンピテンシーが期待基準をどうにか超える普通のレベルであることを意味しており、少なくとも高い水準を指してはいない。優れている場合、英語ではexcellentを使う。もし意図することが「高業績者の特性」ならば、Excellencyとでも言うべきところである。

またコンピテンシー(competence)とは、職務に関連した知識や技能などに関するものを総称しているもので、job related skill とほぼ同義であるとする定義があり、北米を除く英語圏ではむしろこれが一般的である 。これに対して、北米におけるコンピテンシー(competencies)は、次世代リーダーの基準を示すリーダーシップ・コンピテンシーであるが(Briscoe & Hall,1999、2002)、このような捉え方は好ましくなく 、リーダー育成だけではなく全従業員をボトムアップしていくための指標になるべきだという指摘もある(McLagan,1996,1997)。

コンピテンシーに関しては明確な定義も共通認識もなく、既に米国ではその論議も風化している。しかも、英語圏における産業・組織心理学ないし組織行動論の教科書を見ても、ほとんど記述がない 。日本でも90年代後半以降、偏向した紹介や「日本型」なる独自の展開がなされ、カタカナで記す場合の「コンピテンシー」はわが国固有の概念を構成していると言わざるを得ない。それゆえに、新局面に来ているともいえよう。このようなコンピテンシーの誤解、迷走の淵源とわが国における活用の実際、そして今後の方向性について言及したい。


2. コンピテンシー(competency)の定義と実務上の矛盾

コンピテンシーの定義や解説については紹介しておきたい。先ずKlemp(1982)によれば、コンピテンシー(Competency)とは、①「効果的で優れたパフォーマンス(業績や働きぶり)をもたらす人に見られる特性」のことで、②「動機(Motive)、性向(Traits)、技能(Skills)、知識(Knowledge)などの総体(Body)」からなるが、時に③「本人も保持していながら気づいていないもの」である、という 。この③は興味深い指摘である。というのも、Spencer(1993)は、行動インタビューによってコンピテンシーの発見とモデル化、そして評価が可能としたが、時として本人が気づかないならば、短時間のインタビューでコンピテンシーを発見・評価することは不可能だからである。ただし、Klempの定義は高業績という点を基本的に踏まえたものとなっている。このことから、字義的には「一人前」であり、ある程度仕事を任せられるというレベルのものがより高いものを要求していることが確認できるが、高業績者という捉え方ではない。

またMilcovich(2002)によると、コンピテンシーとは知識や能力のことで、それに基づく報酬決定もあるが、成し遂げた成果(accomplishment)によるほか評価の難しい管理やプロフェッショナルといった職務の場合、活用されると指摘されている。つまり、コンピテンシーを報酬に活用することがあるにしても、その援用は限定的でマイナーであり、全社的に展開するようなものではないということになる。

次にZemke(1982)によると、「コンピテンシー(competency)、コンピテンシー(competencies)と騒いでも、コンサルタントやトレーニング会社が我先にとあつかましく、商売っ気たっぷりに粋がっているだけで、(Humpty Dumpyのように)すぐに潰れてしまう空虚な言葉遊びに過ぎない」という 。手厳しい指摘だが、80年代前半において既にこういう認識が一部にはあったのである。「コンピテンシー実務の聖書」(太田,1998a)ともされるCompetence at Work が出たことが1993年であること、日本におけるコンピテンシー・ブームが2000年を跨ぐ数年間であったことを考え合わせると、コンピテンシー懐疑論は20年以上後に日本でようやく芽生えた。なにゆえに米国礼賛型の人事改革が起こったのか、その背景は何だろうか 。日本におけるコンピテンシーの軌跡を振り返ってみよう。


3. 日本におけるコンピテンシーの「紹介」と日本的展開

日本でコンピテンシーが紹介されたのは1996年頃のことである。米国でも人事コンサルティング会社としてメジャーなウィリアム・マーサー社(当時) が、営業関連の本を出版し(大滝,1996)、営業プロフェッショナルの条件を「コンピタンシーモデル」で説明しようとした。この本が日本でヒットしたことが日本でコンピテンシーが注目されるきっかけとなった。しかし、本国のマーサー(Mercer)には本来のコンピテンシーに関するコンサルティングではほとんどノウハウがなく、何のパブリッシュメントもないというのが実情であった 。

同じく日本におけるコンピテンシーに関するコンサルティングで中心的存在だったワトソン・ワイアットだが、本国ではコンピテンシーに関する言説はほとんど見られない。日本におけるワイアットがコンピテンシーに関するコンサルティングの中心というイメージがあるが、これはヘイグループから移籍した川上真史氏がいたためで、同氏は日本のコンピテンシー実務に大きな影響を持ってきた。川上氏によると、高業績者を行動観察すれば評価が可能であり、コンピテンシーを通じて高業績者を作り出せるとされた。

コンピテンシーは一貫してヘイ・マクバー(Hay-McBer)の商材であり、それ以外は基本的に亜流である。しかし、ヘイグループは米国においては比較的マイナーな人事コンサルティング会社であり、その売上の大半はアジアであるとされる。そして米国系HRコンサルティング会社にとって、日本は最大の収益源であり、草刈場である。日本の大企業がやったというと、アジアの有力企業も横並びで相乗りしやすいという事情もある 。

いずれにせよ、日本におけるコンピテンシーへの熱い「関心」と「期待」に応える形で、太田隆次氏が元日本ペイント人事部長、米国留学経験あり(ウィンスコンシン大学MBA)、という安心感から、日本の実務家にわかりやすい形でコンピテンシーを紹介するという役割を担った(太田,1998a,1998b,1999)。太田氏は、コンピテンシーを最初から職能資格制度をリニューアルするためのツールと位置付け、その関連付けを強調したことから、コンピテンシーは職能資格制度における職能(職務遂行能力)概念を換骨奪胎するものであり、それを導入すれば、能力主義が成果主義に向かってしなやかに、かつマイルドに転換するとした。このような「日本的」コンピテンシーは閉塞感に見舞われた90年代後半の人事実務家に「朗報」、「よき知らせ」、「地獄に見た仏」となったのである。

  当時を述懐する元寺大志氏は当初、タワーズペリン東京支店に相次いで寄せられる問い合わせ、「コンピテンシーと職能はどこがどう違うのか」にどのように答えていいか、困惑、苦慮したという(本寺,2000)。1つにはタワーズペリンの本国にもコンピテンシーに関するコンサルティング実績がなかったことが「苦慮」の一因であっただろう。これに対して、何かが「できる」と記述するのが職能で、単に「する」と記述するのがコンピテンシーだということになった(太田氏も本寺氏もそういう結論に落ち着いた)。

ここから、「何かができるだけでは十分ではなくて、実際にやっていることがコンピテンシーだ」という解釈が生まれてきた。能力については潜在能力ではなく、顕在能力こそ評価されるべきで、それは成果行動だという考え方である 。しかし、これは思い付きであり、文献的には根拠がない。ましてやそこに氷山モデルを示して水面下の顕在部分を「コンピテンシー=成果行動」と捉えるなど、ミスリードもはなはだしく、あられもないことである。

楠田丘氏によって体系化された職能資格制度の体系では、確かに職能は潜在的なものである。しかし、能力一般がそもそも潜在的であり、顕在化した場合、これを成績ないし業績として認識すると考えられている(楠田,2003)。もし能力の顕在性を強調するなら、能力評価は行なわないでよいことになるし、それ以前の問題として「顕在化した能力」など実在しないはずである。氷山モデルで言えば、水面下にあるから能力なのであり、水面下に出れば成績、業績になる。このモデルで思考すること自体が誤解を招く。

結局、「日本型コンピテンシー」を強調すれば、人事考課は成績・業績一本でいいことになる。これでは職種間を異動させて幅広い経験を積ませる慣行に対応するための人事制度である職能資格制度が成り立たなくなる。コンピテンシーを成果行動と捉え、能力の顕在性を否定する時、能力主義は機能停止し、結果だけに目配りをする成果主義が跋扈することになる。

能力の潜在性を否定する解釈、言い方を換えると、新しい成果型能力観は、目標管理によって導き出されたミッションとその量的成果を極端に重視する成果主義の考え方と軌を一にする。まさしくこのような解釈が日本で成果主義とコンピテンシーを密接不可分にした淵源であり、両者を無理に統合しようとした帰結である。しかし、米国の人事実務では成果主義(報酬制度)とコンピテンシーは何の関係もない。コンピテンシーと報酬制度の関連付けについて質問されたHull は、両者はそもそも何の関係もなく、北米におけるヘイですらそのようなコンサルティングはやっていなかったし、相談すらなかったと答えた(ワークス,2003)。またスクノバーの調査を見ても、報酬制度とコンピテンシーを関連付けた事例はほとんどなく、昇格基準、トレーニング指標がせいぜいなのである 。また日本における能力観の転換は人事管理の変転を考えると、重要な転機となっているが、このような文脈は日本固有のものである。楠田氏は一貫して能力が生涯にわたって伸びることを強調した。しかし、コンピテンシーの実質的先駆けであるSpencerも、コンピテンシーは開発が困難またはやや困難なものとしている。米国には「能力が天をつくように伸びる」(楠田)という能力観に関する強い呪縛はないし、そのような議論を経る必然性はなかった。コンピテンシーが開発されうるのか、ここは曖昧なまま、学習可能という見方が徐々に支配的になっていく。

日本型コンピテンシーの特徴は無理やり成果主義と関連付けられ、「米国型人事管理システム」となり、それは高業績に寄与するカンフル剤であると認識されてしまった(永井,2003)。これはニューエコノミーを標榜し、株主重視の経営を訴え、クリエイティブ・アカウンティングの美名の下で「緩やかな監査」とコンサルティングを売り込んでいた会計事務所系コンサルティング会社にも格好のビジネスチャンスとなった。その代表格だったアンダーセン(Andersen)は、コンピテンシー関連のコンサルティングでも積極的に参戦し、出版にも熱心だった(アンダーセン,2002など)。しかし、米国における機能停止を受け、日本における会計事務系のコンサルティングは困難となった。

日本企業の「カイゼン」活動は米国でも一目置かれているし、時には瞠目されている。日本におけるコンピテンシーの誤解と迷走、そしてバブル的なコンサルティング・ビジネスの状況について質問を投げかけたところ、自らもコンピテンシーモデルの作成で米国中を飛び回っていたスクノバー博士は、一呼吸置いて「Kaizen! Kaizen!」と連呼した。つまり、日本企業は莫大な投資をしても、得意の改善活動で人事システムの中に融合すると指摘したのである。むしろ、こうした日本企業の、何事も諦めない地味な取り組みがコンピテンシーを米国に使える形で逆輸入させてしまうかもしれないと預言した。かくして日本企業は、カイゼンすべく、コンピテンシーとは何か、実務にどう落とし込んでいくかという難問に立ち向かい、しかも他社事例は極秘という「厳しい」環境の中で自問自答することになったのである。

日本における活用の実際はどうか。日本では米国的なるナレッジ、新自由主義的なもの全てに結びついた結果、コンピテンシーの化学結合は夥しいものがある。あらゆるナレッジとイノベーションがコンピテンシー経由で日本の人事制度、人事管理になだれ込んできたと言っても過言ではない。ラーニング・オーガニゼーション、組織バリュー、コーチング、リーダーシップ、モチベーションなどこれらは主に人材開発、トレーニングにおいて盛んに議論され、実践されてきた。これらはコンピテンシーという触媒によって人事評価やOJTのツールになりえた。単にそれは横文字を羅列しただけのマニュアルだったかもしれないが、上司による評価や育成のツールがエンリッチされることを通じて、研修コストを低減するという効果も期待された。結果的にコンピテンシーは部下を育成し、モチベーションを高めるための仕組みとして管理者に提供されていくことになった。これはある意味で収まりのよいことである。しかし、そうした取扱いは日本ならではのことで、米国の源流にはない。


4. コンピテンシーをどう評価するのか、米国における論争

コンピテンシーをどう評価したらよいのか、米国でも論争になったことがある。LawlerⅢ(1996)は、「コンピテンシーはHRMに関して貧困な基盤に過ぎない」と皮肉った上で、性格などの部分に踏み込むコンピテンシーは業績評価や報酬決定の基準にすべきではないし、場合によってそれはEEOC(雇用機会均等法)を触れるという挑戦的な批判を行なった。これに対してSpencerら(1996)は、コンピテンシーがHRMの重要な基盤になるとした上で、その評価は多面評価などが近年発達してきており、それによって可能であると反論した。この論争のポイントは、コンピテンシーが性格的なもの、心理学的な次元を含んでいるかどうかという概念上の問題がひとつであり、一方でコンピテンシーが報酬決定の基準になりうるのかという点にある。コンピテンシーはHay陣営によって観察可能なものであることが強調されるが、もしそうならば、それは仕事に関連したスキルと同義であるとLawlerは指摘する。そして動機や欲求、性格などを含んでいるならば、それは人間性ということになり、雇用機会均等が禁じている領域に踏み込んでしまうことになると指弾する。そして、Lawlerは、Zingheimらの行なった調査を引き合いに出し、コンピテンシーがどこも似たようなリストになっており、職務の違いに即したものでないこと、市場性がないので、賃金決定の基準になりえないことを指摘する 。この論争はコンピテンシーを報酬制度と関連付けて考える日本企業にとって重要な議論であるが、紹介されたのはコンピテンシー・ブームの終盤以降のことである。

ここでもう1つポイントがあるが、Spencerらはコンピテンシーの評価の方法にインタビューを加えなかったことがある。Hay陣営は行動インタビューを評価技法として強調する発信をSpencer(1993)以降、全くしていない。一方、日本では「行動観察面談(Behavioral Event Interview; BEI)」は画期的な手法として実務家の関心を集めている。行動インタビューは果たして画期的なものなのか。少なくとも、行動インタビューは採用技法として発達してきたものだが、業績評価の手法ではないし、コンピテンシーとは特に関係のある技法ではない。主なものを紹介したい。

経験インタビューは代表的な技法であり、実際の職務上の出来事に対して効果的にアプローチできる。もしそれが十分に可能なら、業績評価にも一定の意義を持つことになる。また出来事からの評価によっては十分にそのプロセスや被評価者の思考過程が明らかにできない場合、他の方法、例えば、状況インタビュー方式を採ることがある。これは職務経験を積んでいない対象者が狙いとする職務に適しているかを判断する場合に活用される。

状況インタビューとは、ある架空の状況(一種のシナリオ)を応募者に提示する。面接担当は、それに対する応募者の反応に注目する。提示される状況は、将来、職務上起こり得る内容である。状況インタビューは、理論的にはMBOに従っている(Locke, 1968; Locke & Latham, 1984)。この理論は、個人の行動を決定する要因として意図や目標に注目する。そこで状況インタビューによって、個人の潜在的な意図を探ろうという試みが生まれたと考えることができる(Latham, Saari, Pursell, & Campion, 1980; Latham, 1989) 。実際は、応募者の意図を引き出すために職務に関連した一連の事例を提示し、その状況の下でどのように振る舞うかを応募者や従業員に質問するという手順を踏む。詳しい手続きは以下のようなステップをたどる(Whetzel & McDaniel, 1997)。

 1) クリティカルインシデント法(critical incident technique)による職務分析を実行する。ここで得られた行動事例は類似性に基づき特定のクラスターにグループ化される。
 2) 各クラスターや次元(ディメンション)の内容をよく例示していると思われる事例をひとつ以上抜き出す。
 3) 第2ステップから得られた各事例を、「もしあなたなら、どうしますか」という質問に変換していく(What would you do if ….)。
 4) 各質問が、クラスターや次元が想定している内容をどれくらい包含しているかを検討する。
 5) 面接担当の評定が誤ったばらつきを生じないように、評定尺度を作成する。
   評定尺度の各段階は、良い反応(5)、受容できる反応(3)、受容できない反応(1)の3点から構成される。
 6) 応募者を識別できない質問や面接担当者間で得点の合意ができない質問項目を取り除くために、予備調査を行なう。

ステップ1にて説明したように、クリティカルインシデントが質問項目を作成するための重要な資料となる。下記の例は、Latham(1989)がチームプレイに関わるクリティカルインシデントと指摘したものである。ケースは口頭または配布物によって与えられ、それについて細く質問をしたりしながら進めていく。

<ラザムによるチームプレイに関するケース>

デリバーエクスプレスというアメリカ北西部にある運送会社での出来事である。同社は、チームプレイを組織理念として掲げていた。この会社の管理者の一人は、友人でもある同僚が職務上、大きな問題を抱えていることに気づいた。彼は、同僚が困っているのに見かねて、その友人に援助の手を差し伸べた。これはチームプレイの理念に適う行動であったが、彼はそのために4半期ごとに設定される目標を実現することができなかった。目標が達成できなかったのは、彼が困っている同僚に実際の市場価格よりかなり低い価格で商品を売ってしまったことが原因である。
  この事例について、もしあなたが当事者だったら、どうしますか。


5. 個人の資質特性を見直す契機となったコンピテンシー

コンピテンシーについて批判的な指摘も多く行なったが、個人の資質について着目する契機になったことは評価できる。日本ではコンピテンシーは観察可能とされつつ、一方で動機や欲求、達成意欲などに関係していると紹介されている。動機や欲求、意欲は心理学的概念であり、質問紙などを使うことで測定可能であるが、目に見えるものではない。そもそもSpencer(1993)に示された「氷山モデル(ice-berg model)」は大いなるミスリードで、氷山の上層部にある知識やスキルでさえ観察することはできない。日本で引き合いに出されるこのモデルについてコンサルタントのShuster に質問したところ、「あれはタイタニックだ(That is a Titanic!)」だとすかさず答えた。つまり、氷山ばかり見ていると、激突して沈没するし、そもそも危険なモデルであるとした 。

質問紙による性格テストは採用や配属の参考にはなりうるし、一定の活用は従来から行なわれてきた。しかし、それによって報酬を決めるようなものではないし、自分をよく見せようとする動機が強く働く場合、その結果をどこまで信用していいのかという疑問もある。こうした問題があるにせよ、コンピテンシー・ブームの後、企業の性格テストへの関心は高まったし、コンピテンシーやEQをテストできるというものもお目見えした。しかし、コンピテンシーは心理学的構成物(psychological architect)ではないと強調されてきたことをテスト業者や実務家は理解しているのだろうか。これらの試みの多くは正当な心理学的理解に基づかないという意味で、テスト・バブルである。

性格テストの測ろうとしている資質特性(aptitude)の研究は100年の歴史を持っているが、1980年代以降は直交回転であるバリマックス回転による処理が普及し、それによって得られるビッグ5(5因子性格特性)が通説になってきている 。そして、その内容は質問を多少アレンジしても、同じく5因子に収束することから、それによって人物プロフィールを捉えることが学術研究においても一般化している。つまり、全く新しいと宣伝されるテストはそれだけ怪しげだということになる。

またEQ(Emotional Intelligent)だが、McClellandのよき後継者であるGoleman(2000)が知性(IQ)ではなく、感情知能が職務上の成功を導くとしたものである。この発想は本来、McClelland(1973)が狙ったものに最も近いもので、正当なコンピテンシーの流れと言ってよい。しかし、Golemanは知性、頭の良さを除く全てのものをEQと呼んでおり、職務に関連付けられないものなので、それによって業績評価を行なうとか、人事評価の基準になるというものではない。採用を考える場合の基準か、能力開発の指標がせいぜいなのである。


6. リーダーシップの指標としてのコンピテンシー

効果的な行動を示す行動指標だというコンピテンシーは全く新しい概念なのだろうか。日本では効果的なリーダーシップを研究した三隅二不二氏によるPM理論がある。PM理論はリーダーシップには業績向上機能と集団維持機能という2つの機能があり、さらに階層や職種などによって下位に2つないし3つの機能があるとするものである。それぞれについて具体的な行動指針が示されている。

実地調査によりコンピテンシーモデルを作成し、その後、多面評価を実施して確認したところ、クラスター分析すると、PM理論の2つの機能が抽出され、さらにその下位項目もほぼ一致した(永井、2007d)。モデルは英語圏のリストを参考にし、ブレーンストーミングして落とし込みをしたが、一方で丹念に職務調査も行なった。このことから、コンピテンシーを効果的なリーダーシップ行動と捉えるならば、こういう取り組みはMcClellandとほぼ同じ時期に日本で行なわれていたことになる。しかも、実質的なコンピテンシーの創始者であるBoyatzis(1982)よりも先行している。

日本企業は新しい概念を額面通り画期的と捉えて右顧左眄するよりも、足許をしっかりと見つめて、人材育成と人事管理の実務を考えるべきである。ただし、その場合、統計的な手法を取り入れて実態調査を行なうこと、またいくばくかでも心理学の知識を補って行なうことが必要である。



参考文献(和文)
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元寺大志(2002)『コンピテンシーマネジメント』日経連出版部
森岡孝二(2006)『働きすぎの時代』岩波書店
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大滝令嗣(1996)『営業プロフェッショナル高業績の秘訣―コンピタンシーモデルで解明する』ダイヤモンド社
太田隆次(1999a)「コンピテンシーと職能資格制度の接近から生まれるもの」『ワークス33号 日本的雇用システムの未来デザイン』所収 リクルート
太田隆次(1999b)『コンピテンシー-アメリカを救った人事革命』経営書院
太田隆次(2000)「報酬制度にみる米国・欧州企業のコンピテンシー-に対する関心」リクルートワークス所収 2000年2月 リクルート
ワークス編集部(2003)「コンピテンシーとは、何だったのか」『ワークス』57号
柳澤さおり・古川久敬(2000)「対人評価の正確さに関する研究の展望」九州大学心理学研究第1巻,pp.79-93

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