|
|
|
|
|
◆ワークライフ適応へのキャリアカウンセリング事例 |
|
1.問題の所在
デパート業界は80年代後半に起こったバブル期に拡大戦略を取り、高収益を上げるとともに、再投資を繰り返して店舗拡大を強力に進めてきた。しかしながら、90年代後半以降は不況の長期化、富裕層の購買力低下、雇用劣化に伴う若年層の購買意欲の低下等を受けて厳しい経営環境にさらされるようになった。
また、拡大路線を歩む中で、従来のチェー寸ストアがデパートに参入したり、デパートがスーパーに注力したりと、業際を超えた競争が急展開し、そこで働く従業員に対する期待も大きく変貌し、常に高い水準で仕事を行ない続けることが求められるようになった。
仕事や能力に対する要求水準が年々上がっていく中で、企業業績は悪化し、経営統合や合併などに伴い、人的リストラも進められたが、これに伴い、従業員全体のモチベーションは下がり、現場ではメンタルヘルスの問題も深刻化した。会社に対する信頼感、雇用についての安心感も抱けないまま、自信をもって自社の商品を勧めることは困難だろう。こうした葛藤が現場に生じたことは想像に・ュない。そこで、本研究は、キャリアカウンセリングの事例を通じて、典型的な一人の女性が仕事と家庭という女性としてのキャリアに適応していった課程を取り上げる。
2.ケース対象者の経緯
(1) 対象者のプロフィール
T子さん、現在37歳。専業主婦で二児の母親である。関西の出身で、いわゆるターミナルデパートに勤務していた。高校卒業後、13年間勤務し、その後、退職し、関連会社パート社員を経て、現在は専業主婦として二児の母親である。夫は司法書士で個人事務所を開業している。
入社後、10年間は主に事務部門に勤務し、販売部門とは無縁だったが、11年目に販売部門に異動になった。すでに中堅社員であることから、周囲の期待が高く感じられ、新しい職場では仕事についていけないという不適応感を覚えるようになった。また、当時のデパートは競争が激しく、売上は上がらないのに、過剰サービスを提供する傾向があった。
(2) 第1回目の不適応
異動後1年ほどして、欠勤はなかったものの、不眠症や焦燥感を覚えるようになり、自分の意思で心療内科にかかるようになった。睡眠薬などの投薬を受け、多少、改善した。将来にわたって、正社員として勤務していくことに不安を覚えて、見合いで結婚することにした(双方の叔母が同級カ)。
会社の配慮により、夫の居住する東京に、正社員として異動させてもらった。その後、家事との両立などを考えて関連会社にパートとして勤務するようになった。不慣れの仕事で不適応感を覚えたが、表面的には精勤していた。しかし、勤務後は消耗し、何をする気も起こらない状態が続いていた。
(3) 第2回目の不適応
結婚後、自営で忙しく、家事や育児に協力的でない夫、また親しい間柄の友人・知人がほとんどいない東京での生活環境、自分の身内から家事支援を受けられない現状に、不適応を起こし、不眠や焦燥感、抑うつ感が増して関西の実家に戻り、入院した。2か月ほど入院したところに夫が見舞いに来て、再び東京で生活する決意をもった。入院に伴い、デパートの関連会社は休職を経て退社した。
(4) 第3回目の不適応
東京に移ってから夫も家事に協力的になり、夫婦関係が良好になって懐妊、出産した。ただし、出産後間もなく再び妊娠し、1つ違いの男児二人を相次いで授かることになった。体調はやや悪く、妊娠に伴い、向精神薬を減薬したので不安感等の症状が悪化した。育児に手間取るようになり、休職していたパート勤務を退職した。区の子育て支援課に相談したところ、保健所の保健師に相談するように言われた。
保健師の手配により、日中は子どもを保育所に預け、なるべく休息を取り、定期的にヘルパーに来てもらって、掃除等の家事を手伝ってもらうことになった。しかし、子どもが大きくなるにつれ、焦燥感、抑うつ感が増し、日常的にヒステリーを起こすようになって再び入院した。「専業主婦」さえこなせない自分に自信を喪失し、身内からの批判も受け、精神的には自己嫌悪と背中合わせになり、ますます感情的に不安定になった。
3.行なわれた介入
本ケースで介入が行なわれたのは上記2の(4)の段階である。
まずこれまでの経緯を聞いて、本人が常に仕事上、あるいは家庭的な期待を十分に応えるように生真面目で、真摯に取り組もうとしてきたことが明らかにされた。本人は不況で構造変革期のデパートで空回りしていたことに気付いた。
次に体調が思わしくない自分に子どもが配慮してくれないことに苛立ちをもっていたことに気付いた。しかし、幼い子どもにそのような配慮を行なうことは無理であり、いたずらをしたり、外遊びを楽しみたい時期であることについて気づきを持ってもらった。そして、統制しきれな「分は保育所の支援を受けることにした。
また、段階的に家事や育児に協力的で、現状では主たる役割を担っている夫に対する配慮が行なえるように気持ちの切り替えを推奨した。それまでは偏屈で、こだわりの強い夫に対して反感も抱いていた。しかし、夫は二人の子どもができて以降は家庭的になり、家庭と仕事をバランスよく行なうという態度を示すようになり、仕事に関連した付き合いも一切行なわないほどだった。
不況で夫の経済力がやや不安定で、自分も働くことが難しい。そこで、障害者年金(厚生年金3級)を受給するように申請するように推奨した。自分自身を障害者として認識することで、周囲だけではなく、自分自身も適切な自己認知を行なえるようになった。ただし、この点には多少、葛藤がある。
また、何事も競争優位を持つ程度にやらないといけないとデパート勤務時代から刷り込まれてきたが、ある程度、効率よく必要最低限のことを自分がやるように意識付けを行なった。今まではとかく優先順位をつけることが苦手だった。
これらの意識転換を数回の話し合い(カウンセリング)を通じて行なった結果、心理的な葛藤が緩和され、前向きに育児と家事を、夫に主導権を持たせながら負担していくことにした。また、定期的に休養のために、入院することにした。
4.本ケースの意義と問題点
(1) ローテーションによる能力開発の意義
本ケースの場合、T子は計画的なローテーションを受けておらず、振り返って十分な研修機会、OJTが得られなかったと回想している。デパートに限らないが、一般職に対する能力開発への取り組みが十分でないことが露呈している。
(2) 期待水準を上げ過ぎないという配慮
バブル崩壊後の90年代後半、企業業績が悪化し、企業は繰り返し、人的リストラを行なった。正規雇用であるT子には販売部門での職務経験がなかったにもかかわらず、リーダー役であり、中堅社員として期待するという会社側の姿勢があり、本人は戸惑った。相対的に給与の高い正規雇用のT子は未経験の職務で高業績を上げることが期待された。
(3) 非正規化と非婚化
職場は非正規化が進み、非正規雇用の多くは非婚であった(30歳代で非婚率7割程度)。非正規では結婚すると、退職がほのめかされ、結婚することを祝福されるわけでもない。正規雇用がぎりぎりヒトであれば、非正規雇用はあくまでもモノでしかない。
(4) 男性の家事・育児への参加
T子の夫は自営業で個人事務所であり、時間の融通がつけやすい。職住接近で、夫が家事や育児の大半をこなしている。しかし、このような夫の家事・育児への参加は通常の勤務では非常に難しいことだろう。男性が平日から家事や育児に参加し、応分の責任を果たしながら勤務できるアとが必要である。場合によっては短縮勤務もやむを得ない。
(5) メンタルヘルスへの偏見と排除
T子は一貫してメンタルヘルスの患者であることに対する偏見と排除に悩まされてきた。家族や親族は「わがままに育った」、「辛抱ができない」などと言い、会社にも詳しい事情を伝えることは困難であった。しかし、T子は勤続期間を通じて高い人事考課を受け、職場で不適応を起こしたことはない。メンタルな危機に陥ったT子に気付くことすらなく、結婚退職とみなした会社には問題がある。
5.今後の展望
会社は個人の努力の積み重ねだけでは高業績を享受することは難しい時代になっている。従業員はあくまでも会社の方針の中で働く存在に過ぎない。彼らが精勤するためには会社に誠意と配慮がないといけないし、人間としての存在である従業員に愛情がないといけない。成果主義で従業員を追い詰めていくことにはそもそも問題がある。
キャリアカウンセリングに従事する者は、そのよき仲介者、媒体役として困難に直面する人々の問題に対処しなければならない。 |
|
|
|
|