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和文要旨 大学は大半、偏差値で評価されており、それは入学時点における学部のレベルを示しているが、部分的に過ぎない。近年、企業は採用選考において高校レベルの基礎学力を重視するようになって来ている。今日、大学は基礎学力、とりわけ数学の素養のある学生を送り出すことが期待されてきている。そうした中、出口管理は必要で、それによって学生を品質保証しなければ大学は信頼されなくなってきている。留学生に関する対策は遅れているが、これも取り組むべき課題である。国公立大学における就職指導は顕著に遅れているが、これも放置できないだろう。研究拠点大学でも研究者志向はごく一部であり、主流は一般就職である。キャリア教育として出口管理は重要で、これが生き残りをかけた競争優位を作り出してくれるだろう。 英文要旨 Most all of the universities are evaluated by standard score which shows the level of faculty in the entrance but only partially. Recently corporations respect basic knowledge at high school level at the recruitment and selection. Now universities are expected to send students for society with enough basic knowledge particularly Mathematics. We should start Exit Management which means to train students with basic knowledge and social skill not special knowledge. Universities should qualify the level of students and that will create reputation. The activity for foreign students is not so developed and not enough. National or Public universities did not respect career training or education. But there are not so many students who hope they are academic in Academic oriented universities. Exit Management as Career Training and Education will be critical to create competitive advantage for our survival. 1.問題の所在 大学の評価はいわゆる受験産業に作り出された偏差値が目安になることが多い。国立大学と私立大学では入試の仕組みが異なり、単純に比較することができないが、私立大学の場合、大半が英語と国語を必須とし、選択科目(地歴か数学)という試験を実施しており、偏差値はこうした一般入試における得点状況の予測値を示すもので、受験生の人気動向にも影響されることから、格付けの際の手掛かりになっている。偏差値は一般入試の定員が少ないほど上昇するので、私立大学の多くは入試定員を絞り込み、複数の方式や日程を設定し、「受かりにくさ」を高めようとしてきた。国立大学に関してはセンター試験での得点率のほか、私立大学併願時の選好度などから大まかな格付けがなされている。 私立大学における入口管理の変更に伴う大学の労力負担増は相当なものでそれ自体が問題視されているが、別の問題も潜在的に起こっている。それはどこの大学の学生だからといっても、基礎学力の高さをあまり保証しなくなったことである。これに対応するように、企業側も、基礎学力を重視するなど採用選考の仕方を大幅に見直すようになってきた。学生の中には卒業後、進学したり、就職活動せずに家業を手伝うといった進路を選択することもあるかもしれない。しかし、圧倒的多数は一般就職であり、就職良好度が偏差値と並ぶ大学評価の目安である。そしてそもそも偏差値が重要な指標と考えられてきたのも、それが就職良好度を予測すると信じられてきたからである。しかし、その関係は今日では崩れてきつつある。 大学は本来、学生の選抜機能を果たすだけの機関ではない。大学としての専門教育、高等教育機関にふさわしい全人格的な教育を施して、社会に有為の人材を送っていくことによって評価される。大学は今日、少数の研究拠点大学と圧倒的多数の非研究拠点大学に分化している 。私立大学のほとんどが後者に属している。就職良好度を1つの指標とする出口管理の成否が大学経営を大きく決定する時代が到来している 。本稿では、出口管理としてのキャリア教育について考察していく。 2.就職事情と二極化現象 就職氷河期といわれる時期が1990年代、数年間続いたが、2004年以降はおおむね就職状況も良好になったと言われている 。しかしながら、一言で「就職がしやすくなった」と言っても、何の就職対策もなく、誰もが容易に就職できるという時代になったわけではない。若年者のフリーターが増えるなど、企業は非正規雇用を大量に活用するようになった。そのため、正社員への期待水準は以前にも増して高くなっている。また大学においても学生における二極化が顕著である。これは新たに浮上してきている課題である。 今日、大学は研究において重点化していく大学と、そうでない大学とが二極化しつつある。これは「トップ30」などを推進する文部科学省の基本施策でもある。「非研究重点化大学」にとって、学生の希望にあった企業になるべく就職するための支援である「就職指導 」は、大学教育はもちろん、時に大学院教育においても、最も重要な機能になっていくと考えられる。学生の目線に立てば、この機能なくしては大学の存在意義はないと言っても過言ではないだろう。しかしながら、現状は多くの大学で就職指導は極めてマイナーな位置づけに留まっている。 一部の私立大学は積極的に就職指導に取り組んできたが、国公立大学ではまだ遅れており、ほとんど始まったばかりであるという指摘がある(佐藤,2005)。国公立大学においても今後、キャリア教育を重視していくべきである。そうでなければ、私立大学との教育サービスの格差が起こり、研究拠点大学でない地方国立大学はますます斜陽化してしまうことになる。そればかりか、研究拠点大学でも研究志向の学生はごく一部であり、圧倒的多数は学部卒業後直ちに何らかのキャリアを求めているのが現状である。彼らにとっても出口に向けた指導は必要かつ不可欠であろう 。 就職指導について特別のカリキュラムを組んで単位として取り組んでいる大学は少ないし、就職関連科目の担当は就職指導に関する専門知識を有する教員ではなく、職員が自発的な講座として開講している場合が依然として主流である。その内容は、外部の講師や就職専門業者、活躍している卒業生を招いて実施しているケースが多いようである。しかし、学生の出席は任意であり、モチベーションの高い学生では出席が目立つものの、出てこない学生も多い。こうした場合、むしろ出てこない学生が問題となる。しかし、必修科目でないこうした講座による指導には自ずと限界がある。また就職問題に関心を示さない学生に対する指導や動機付けが現在、大きな課題である。 また国公立大学における就職指導担当者はこれまで公務員を登用し、あるいは行政からの出向職員によって業務が遂行されてきた。こうした事情もあり、民間企業に対応した就職指導のノウハウの蓄積が難しかったことがある。国公立大学では適切な人材を外部から行ない、キャリア教育を展開することも必要になるかもしれないが、就職課に専任者が一人いるだけの体制では十分ではないかもしれない。 大学ではゼミが重視されているし、指導教授の影響力は依然として大きい。そのため、伝統的にゼミの教員が就職などの進路について相談に応じたり、サポートすることも多かった。今日でも、こうした経緯は残っている。しかし、各教員は本来、専門科目や講座の専門家であり、就職指導についての識見やスキルでは素人であるし、期待に応えきれないのではないだろうか。また情報不足による不適切なアドバイスを行なってしまう懸念もある。 入学してくる学生が大学に求めることが、実効性の高い充実した就職支援になった現在、就職指導の地位そのものを高めないといけないだろう。そして就職指導は学生の将来を展望するキャリア教育として行なわれなければならない。 3.大学における就職指導の変化 大学における就職指導はこの10年で大きく変化した。就職活動に対する準備を低学年から行なう大学も増えている。「キャリア教育」という言葉も頻繁に聞かれるようになり、大学卒業後の生き方をも含めた「キャリアライフ」ないし「ライフデザイン」という広い視野、新しい観点を意識したキャリア教育も注目されつつある。しかしながら、充実した就職指導を行っても、利用する学生と利用しきれない学生の格差がますます広がっている。すべての学生のニーズに応えて支援することは非常に難しいが、大学として悩ましいのはキャリア教育を利用しない層である。 就職先についても多様化しており、今日、雇用体系はさまざまである。とくに昨今では、非正規雇用 が増えていく中で、女子学生が正規社員として有名企業に入社していくのは依然として容易なことではない。中でも総合職としての正規採用については、今後はむしろ難化していく可能性があると予測できる。そうした中で正規雇用の形態で卒業生を送り込んでいく、あるいは企業の求めるコアの人材として育成していく、あるいは長い目で自分自身のキャリアを自己決定できる基盤を大学が提供していかなくてはならないだろう。 4.採用試験から考える入口管理と出口管理 採用試験については、基礎学力や学習能力を測ろうとする企業が増えている。大学生活を通して得た経験やスキルも考慮されるが、専門知識は重視されていない。その背景にある本質的な学力を採用試験に採り入れる企業が多く見られるところである。今日では多くの企業が高校1年レベルと考えられる学力テストを行なっているが、その場合5教科(英語、数学、国語、理科、地歴など)で実施しており、その出来不出来が就職の成否に大きな影響を持っている。 井上・永井(2007)によると、基礎学力のうち、英語は他の主要科目全体を予測すること、同一大学の場合、数学と英語が出身高校のランクを予測すること、出身高校のランクと基礎学力の高さ(特に英語と数学)は、就職ランクを予測すること、国語は就職ランクも高校ランクも予測しないこと、などが明らかになっている。企業が出身高校を見直しているのは地元情報に基づくローカルなブランド性もないわけではないが、高校入試では入試が多様化しておらず、基礎学力をより予測すると信頼しているからではないかと考えられる。 大学は基礎学力のうち、これまで看過してきた数学の学力を入口管理で考慮すべきであるし、それが入試制度変更で難しいならば、入学後、大学で数学を中心とする主要科目の教育を実施して出口管理しないといけないことになる。入学後、学生に中学レベルにまで遡って丁寧に数学を教えることが必要である。企業は数学が多くの職務適性の基礎になると信じている。一方、英語を使う職種は限られている。したがって、学部や学科によっては必須にしている英語を選択科目にし、数学のみを必須にすることも考えられる。 国語の予測力が低いことは指摘した通りである。学部や学科によるが、現代的な文章を的確読み取り、正しい表現力の基礎になる国語力は必須のものと考えられるし、卒業後も重要な職務適性の基礎になると考えられる。どのような国語の試験がcriticalなのかは1つの課題である。古文や漢文は日本人の教養として重んじられてきた。しかし、大学に入れば関連科目があるのは限られている。こうした事情からすると、国語も選択科目でよいことになってしまう。 大学、とりわけ私立大学は、推薦入試枠の増大、一般入試における多様化などを実施し、入口管理を改めることによって大学の活気を高めようと取り組んできた。それには将来を見据えた様々な意義があるかもしれない。しかし、大学教育は一定の水準をクリアした学生に対して提供されるものという前提で組まれたものが依然として多く、卒業後の進路に向けた系統的なガイドは十分に確立されてない。そのため、入学後、本来身につけているべきリテラシーを習得できないまま、就職試験という場に直面し、戸惑う学生の姿も見受けられる。もちろん、従来からある一般入試をクリアしている学生なら、就職戦線で困らないと言うことは意味しない。就職試験の早期化、企業の求める能力基準、人材像の明確化などに対応することが必要で、そのためには対処療法的でないキャリア教育が初年時から必要で、それを出口管理として行なっていく必要がある。 5.遅れている留学生対策 問題は一般の学生ばかりではない。このほかにも、年々増加傾向にある留学生の就職問題がある。彼らにとって日本企業への就職は非常に困難であり、ほとんどチャンスがないと言っていい状況である 。ますます増えていく留学生の「出口管理」をどうするかも大学の就職指導の面から見ると、考慮すべき課題であろう。国立大学では大学院重点化の影響で、大学院の定員規模は飛躍的に拡張された。今日では、経済学部系を中心にその半数近くが中国人留学生によって占められるに至っている。経営学系で見れば、その比率はもっと高い。日本で経営学の修士を取れば、大企業に就職できると考えられているからである。しかし、院卒自体が大企業事務系の新卒採用においてはハンデになっており、狭き門である。 また中国人留学生を大量に抱えている国立大学における就職支援は非常に遅れている。何らかの系統だったアドバイスや支援の前に、情報提供すらほとんど行なわれていないのが実情である 。そのため、研究者志向ではなく、単に実業界におけるキャリアアップのために大学院に進んでくる大半の中国人留学生にとってその期待ギャップは非常に大きなものになっている。 中国人留学生に門戸が狭く、厳しいのは企業側だけの問題ではない。適切な日本語の運用能力、ワードやエクセルなどの運用能力、年齢に応じたマナーや言葉遣い、学士または修士にふさわしい学識、数学や理科、歴史などを含む高校レベルの基礎学力など、企業の要求水準とのギャップは小さくない。 入学後、多くの中国人留学生は経済的な事情から外食産業などのアルバイトに追われてしまうという事情もある。正確な統計はないが、九州大学の修士課程における留学生の場合、時給800円程度で週に35-40時間働くとして月収は12万円程度、休暇期間は余分に働いて年収で150-180万円程度、学費を払うと毎月の生活費は8万円程度が平均像である。学習時間を十分に確保できず、アルバイトを通じて日常会話を覚えていくということになる。 留学生の基礎学力は例外もあるが、英語力はあまり高くないし、日本人が習う水準の中学高校レベルの知識も不足している 。修士課程の場合、入学後1年弱で就職活動が始まる。入学が決まった段階から直ちに出口における品質管理を行なえる教育をスタートさせ、実施しないと企業が留学生を敬遠する状況を打開できないだろう 。 6.出口管理で行なうべきこと 大学は入学者の品質保証ではなく、出口における品質保証を行なうべきである。そしてその出口は今日、3年次の後期である。キャリア教育も出口における品質管理も3年次の秋にはほぼ完了していないといけないことになる。 企業が基礎学力を重視し、それを試す試験を実施していることは前述した。これらの試験は短期間で対策を行なうことは難しく、1年以上腰を据えて学生自らが能動的かつ自発的に学習しないとレベルアップしないものである。大学は入学後直ちに学生にテストを行ない、大学としての単位とは別に、学生に基礎学力を涵養する講座を開くべきである。テストは定期的に実施し、基礎学力不足を補う取り組みが持続的かつ丹念に実施されるべきである。 充実した学生生活を送ることは学生自身にとっても重要であるし、就職良好度にも寄与することが明らかになっている(井上・永井,2007)。こうした学生生活をリードするためには専門教育のゼミではなく、学生生活をアドバイスする担任制度を1年次、2年次に置くべきである。低学年時のマスプロ教育で放任し、就職活動が始まる3年次の後期、あるいは学年末にガイダンスを行なっても手遅れになっていることが現実にある。 出口は就職対策だけではない。長い人生において学生たちの選択した専門領域は基本になってくるものである。その学士、修士にふさわしい要件を明確にし、それをクリアすることを重視すべきである。学生は易きに流れ、単位を取ることに腐心する。しかし、大学入学前の基礎教科を含む学力、知識を卒業時点で保障する仕組みこそ求められている。そうすれば、その大学も、送り出している学生について信頼されることになる。 大学はこの20年、「国際」、「総合」、「政策」、「環境」、「情報」、「キャリア」、「人間」、「現代」などを冠する学際学部を次々に創設してきた。その評価は企業から見ると高くない。その背景は選択の自由度が一層学生を易きに流れさせ、基礎教科の学力を要しない科目の履修に走らせてしまったのかもしれない。企業は高校レベルの基礎教科をベースにし、協調性やチームワーク、積極性、意欲、圧迫や葛藤に対する耐性などを備えた人材を求めている。基礎のない偏った個性派は求められていない。 7.キャリア教育において実施されるべきこと キャリア教育はどのように展開されていくべきなのだろうか。将来的には大学教育の中心に据えられてもよいかもしれないが、現状は専門領域ごとに学部や学科は設置されており、その枠組みを無視してキャリア教育が大学教育の中心であるといっても難しい問題がある。大学には伝統的に語学教育もあるし、一般教養科目も設置されている。これらは就職という出口から見れば重要度が高いと言い切れない。しかし、直ちに出口管理の観点から改組再編できない問題である。そこで、大学ができるとすれば、キャリア教育は原則として単位認定の外で行なうことである。しかし、進級要件などに関係のない科目に学生は出席させることも難しいのが現状である。出口管理で行なう各種のテストやガイダンスは単位を認定する要素にしたり、進級要件を総合的に判定する材料にするほかない。過渡的だが、難しい問題である。しかし、大学自身が大学の市場評価を意識し、学生の粒ぞろい度合いで自らの地位を上げようとするなら、自ずと問題は解決されるだろう。 キャリア教育では既存の大学教員では難しい面がある。実務経験の豊富なトレーナー、採用や人事の業務経験者、現役の実務家や経営者、カウンセラー、コンサルタントなど様々な人材を必要とする。内部では、それをコーディネートし、カリキュラムを組むことになる。この場合、外部講師の処遇も問題である。大学の非常勤講師の謝金は1時間当たり4000円程度である。これに対して専門家の講師単価はその3-10倍である。大学教員では処遇の難しい専門家講師をどのように処遇し、指導に従事してもらうかも1つの課題であり、大学は社会の公器なので、外部人材は条件など気にせず積極的かつ意欲的に協力してもらえると考えることには無理がある。全入時代を迎えた大学に、そこまでの威信や威厳はなくなりつつある。 就職が良好な時代はいつまでも続かず、やがて厳しくなることは間違いない。送り出す学生の一部しか正規雇用のコア人材になれない時代がいずれやってくる。大学によっては卒業後、フリーターやニートにならざるを得ない学生を過半も抱えることになる懸念もあるし、それは空想ではない。大学はまさしく生き残りをかけた最後の時代に直面している。キャリア教育にいち早く取り組み、出口管理を通じて大学の競争優位を獲得しなければならない。 参考文献 濱名篤(2003)「一年次教育の社会的背景と特徴」関西国際大学高等教育研究所研究書No5.p97-121 濱名篤(2004)「日本における初年次教育の課題―大学新入生調査結果よりー」p65-84 濱名篤(2007)「日本の学士家庭教育における初年次教育の位置づけと効果~初年次教育・導入教育・リメディアル教育・キャリア教育~」大学教育学会誌第29巻第1号 |
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