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◆退職金制度 何のためにどう運用するのか? |
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退職金の源流は?
日本の退職金制度は、明治から大正にかけて労働移動が盛んになったことをきっかけに、大企業を中心に労働者を会社に定着させる目的から導入され普及したといわれている。戦後は労働組合運動が活発化して中小企業にも広がり、年功序列や終身雇用など日本的雇用慣行を支える象徴的存在となった。
退職金は、江戸時代の「のれんわけ」にその源流がある。奉公あけした商人が金一封とともに新しい門出をお祝いという形で従業員を送り出し、退職は祝い事であるという慣習がそこにあったのである。のれんわけされた商人は晴れて一人前になり、もらい受けたのれんを掲げて意気揚々として商売を始めたのだ。私の実家はその昔、大阪郊外の街道筋で和菓子屋を営んでいた。創業したのがいつか、定かではないが、創業するためにはどこかで作り方を学ぶために修行しないといけなかっただろう。どこかに勤めるとは、創業に要する技術を学び、そのために奉公し、のれんにふさわしい技量を学んで一人前になることだった。然るに、奉公を終える退職はめでたい門出に他ならなかったのだ。
井原西鶴は『日本永代倉』で、「世のあるほどの願い、何によらず銀徳にてかなわざること、天が下に5つあり。それより外はなかりき」と言い、お金儲けを推奨している。鎌倉屋甚兵衛は、街で大工の見習の小僧が落としていく檜(ひのき)の切れ端を拾い集め、元手もなく、材木商にまで登りつめる。このようなベンチャースピリットこそ、日本の資本主義発展の原動力になったわけだが、江戸時代の商人には奉公とは技を磨く修行であり、ひとつの組織に帰属し生涯を送るという観念はなかったようだ。一方、武士階級は帰属する藩を探し、浪人になると、笠張りなどをしてつましい暮らしを清貧として尊んだ。いずれかというと、清貧でも組織にというメンタリティは今日のサラリーマン一般にあるように思う。企業が人材をリリースするなら、商人なのか侍(さむらい)なのか、DNAチェックしないといけないかもしれない。
近年の大企業のように、退職することは何よりまして不運、不幸であり、不都合なめぐり合わせであって、時にそれはリストラという名で呼ばれ、昔貧しい農村部にあったという口減らしか間引き以外の何ものでもなく、陰惨極まる惨事であるという捉え方は90年代以降特有の現象ではないだろうか。退職が現代の「姨捨山(おばすてやま)」になったのはどういうわけだろうか。
実はここで思い出す出来事がある。私の実家は昭和になり、大阪で建設工事業を営んでいた。工事業の従業員には職人といわれる一人前のプロと、通称「てったい」(手伝いの関西訛り)とか「てもと」(手元の意味)といわれるアシスタントがいて、日割りで計算される賃金はおよそ2倍ほどの格差だった。職人に関して特に公的な資格はないのだが、小さいながらも現場を任せてきちんと納めることができれば「職人」と言われた。それには大工や左官はもちろん、空調工事をやるダクト屋、塗装をやるペンキ屋などいろいろあり、仕事のきつさ、習熟に要する年季、その時々の需給などで賃率=日当が違っていた。
私の実家ではバブル崩壊を前に父が急死し、廃業したのだが、バブルの頃は賃率が上昇する一方で、人手の確保に苦労し、現場を納める段取り合わせに日々奔走しなければならなかった。職人の引抜きが横行し、急に職人が辞めて同業者に行くことも少なくなかった。一旦辞めた人がまた舞い戻ってくることもあったし、十分な技量のないまま職人が急に独立したいと言い出すこともあった。
大阪の街はずれの小規模事業者だった私の実家に名立たる都市銀行が融資を申し出て日参し、立地のいいところに工場を持っていた同業者が10億円で土地を売却して郊外に転居したりした。時はまさしくバブルだった。地価を言えば、現在は往時の1割か2割、あるいはそれ以下かもしれない。然るに当時、自営業者は日夜、税金対策に苦慮し、決算期末になると、デパートの外商でいろいろなものを買いまくって交際費で処理することもあった。夜ごと、経営者は自らをオーナーだと称して飲み歩き、金額記載のない空のレシートをもらうと得した気分になり、公私混同の経費を使いまくった。経費処理しやすい車両は格好の税金対策だったので、実家にも国産の高級車があり、同様に自営業者である親戚筋の家にも派手なアメ車やイタリアのスポーツカーを「事業用」に置いていた。
そんな親方の暮らしを見れば、職人たちも独立自営を夢見るのは当然だったかもしれない。日当で暮らす職人の暮らしは安定しているが、やはり割が合わない感じがしただろう。どんなに店が儲かろうが、1日いくらと取り分は決まっているからだ。
日暮れの頃、職人が父や母のところにやってくる。
「おやっさん、今日限りで辞めさせてください」
「まあ、急な話やな、どういう心境や?」
「辞めて独立しよう、思うんです」
「ほんまかいな、まだ無理とちゃうか?」
そんなやり取りがあったかもしれない。こんな話の場合、引き留めが可能なこともあれば無理なこともある。多くの場合、職人どうしの不仲が離職の原因だった。職人どうし、口をきかないことなどざらで、気が合うことなどむしろ稀である。親方が職人をえこひいきしたので不公平だという不満で辞めると言い出すこともあった。とにかく定着して20年30年と勤める人もいるが、数ヶ月で転々とする人も少なくなかった。とにかく人の出入りはかなり多かった。
ともあれ退職が決まると、父は職人のために道具一式を買いそろえ、独立を祝う。朴訥(ぼくとつ)だった父は適当な言葉も思い浮かばず、言葉少なに職人とのことを思い出しながら精一杯温かい言葉をかけた。取り立てて説教じみたことも言わず、職人の前途を親身に思いやり、送り出した。最後に「たまに元気な顔を見せに遊びにおいで」というようなことも口にするが、職人はあまりその言葉には耳を貸さず店を去っていったものだ。職人には面白くないこともあり、胸に何かを抱えていたのかもしれない。決まって母は、その職人のでたらめなところをどれだけ尻拭いをしたか、と愚痴ぽいことを口にしていた。
独立自営は職人が思うほど簡単なことではない。自営をすれば、現場の仕事だけではない。何より営業活動が大変だし、職人が苦手とする経理もやらないといけない。請求書はもちろん、決算書も作らないといけない。最大の試練である不良売掛もある。意気揚々と独立して自営を始めても、1年もしないうちに破綻し、失踪する人もかなりいた。当時、関西の工事業界には詐欺まがいのブローカーも多く、工事を発注しては計画的に倒産させたりして不払いにする話など頻発していて、自営業者が安定して商売に成功するなど2割あるかないかではなかっただろうか。腕のいい職人など当たり前のことであって、そんな腕より、職人上がりの経営者はどうも視野が狭く、人間関係も不得手で、かっらきしダメな人が大半だった。
やや手前味噌なエピソードが長くなったが、退職という出来事をどう捉えるかを考えずして、この退職金という制度を考えることは無理だと思う。最初にここをきちんと押さえておきたい。私は以前、退職金についてかなり調べたことがあるが、日本の近代史の発展とともに大きな変遷を遂げてきている。退職と退職金をめぐる出来事は企業と従業員の関係を考える上で重要な一齣である。
明治時代の工場にあっては労働者の足止め対策としての強制貯蓄があり、女工哀史さながらの過酷な労働を昼夜分かたず強制された時代、一定期間勤め上げないことには報酬を手にできないこともあった。戦後はこのことを反省し、労基法では賃金の強制貯蓄を禁じている。
また戦前の高級官吏はエリート中のエリートだったので、彼らの退職金は一戸建てが二軒買えるものが目安になっていた。現在の実額にしておよそ1億円相当になる。ここで2軒というのは1軒を自らの住まいとし、もう1軒は家賃収入で安定的に暮らせるという意図だったようだ。戦後は官僚の厚遇は改まったが、いわゆる天下りによってこれが代替されてきた。
退職金の位置づけ
鍵山整充氏によれば、退職金は日本独自のものらしい。つまり、欧米では転職しても不利にならない年金方式が一般的で、同一企業に長年在籍しないと手にできない退職一時金という制度は日本の賃金制度の大きな特徴だという。同一企業に生涯勤務しないと満額の退職金は手にできない。その満額の退職金の水準は企業によってかなり差があるので、一概には言えないが、時に退職時の年収の3倍、5倍にも達し、決して無視できないものである。しかし、退職金の支給実態はなかなか把握が難しい。
退職金の水準については企業間格差があまりに大きい。企業の内情に詳しい人材系企業の担当者によれば、大企業の定年退職における退職金の支給水準はおよそ5千万円だそうだ。これは金融などかなり恵まれた大手企業でホワイトカラーの管理職経験者の場合である。この程度あれば、東京都内でそこそこの新築マンションを即金で買えるだろう。退職時の年収に換算しておよそ4-5年分相当ではないだろうか。
では中堅クラスの企業 ではどうだろうか。おそらく1000万円の大台が攻防だと思われる。管理職の給与水準自体が500-800万円相当だし、勤続年数もそう長くないまま退職していく。東京都などの賃金統計によると、中小企業において実際に支給された退職金が1500万円だったという数字がある。しかし、この数字は私には非常に疑わしい。というのは、この退職金は勤続年数40年、少なくとも35年勤続ほどの支給水準であり、同一企業が40年近く存続し、その間、安定的な退職金制度を運用していることは全くないとは言えないが、中小企業においては極めてレアなケースだからである。
私は90年前後の数年間、金融機関系のシンクタンクに所属し、関西地区及び中部地区で賃金関係のコンサルティングをやっていた。規模で言えば、従業員50名から300名程度の企業が多く、いわゆる中小企業だった。このときから今とさほど変わらない退職金の統計が公表されていたが、実際に私が関与した企業で800万円以上の退職金を支給するような例は稀だったし、同僚の話でもそれは同じだった。また中小企業に多いのだが、退職金制度を完備することはなく、長年の功労者だけを別格に扱い、一般従業員は少額の中退共などの制度で繕うケースも少なくなかった。
そもそも退職金自体、労働法上、義務付けられたものではなく、極端な話、現在なければないままでも構わない性質のものだ。また現在不備があるからといって、それを世間水準に整備しようとすると、意外な顛末になってしまう。というのも、世間水準とされる退職金の支給額は実態と大きく乖離し、そのサンプル数自体も通常の賃金とはかなり違って少ないからである。
さらに言えば、私は賃金統計なるものをほとんど信用していない。それは時系列に追えば、労働経済学など学術的な研究対象にもなりうるかもしれない。しかし、中堅中小企業の賃金は統計と全く異なるのが実態で、同一企業においてさえ賃金モデルなどあってなきがごとき場合が圧倒的だ。その企業が各種の賃金統計などのアンケートに答えて提示する賃金モデルはどこまでの意味があるのか、疑問を持つ。モデルに沿って支給される実在者も皆無に近いし、所定内と所定外などをきちんと運用している例もそう多くない。単に理論上の支給水準で実際に払っているものでもないこともあるし、一番高い物をアンケートに出すこともある。聞き方もいろいろだが、企業自身がそれを吟味して回答しているわけではない。そんな数字を平均したりしても何の意味もなさない。一定規模以上の事業所以外、企業の賃金実態の把握は極めて難しく、まして企業の裁量とされる報酬である退職金においてはなおのことそれは顕著である。
賃金制度の整備はあらぬコスト高となり、金融機関系のシンクタンクなどの指導を受けて賃金水準が上昇し、結果的には後で人員削減などのリストラをしないといけなくなった例も少なくない。人事制度を整備し賃金水準を上げる人事改革は人材定着や人材募集のためにも無難であることから、90年代前半までしばしばなされた取り組みのひとつである。しかし、そのことがその後アダとなり、人事リストラの先駆けになったことも否定できない。その意味で安易な退職金制度の整備も慎重に考えないといけない。従業員の生活をより豊かにする人事処遇改革が結果的には雇用すら維持できないものとなり、いわば見せ金になって破綻してしまったことはなんとも皮肉である。
相次ぐ退職金リストラ
退職金の方式について説明する前に、退職金をなくした例も紹介しておきたい。有名な例ではデパートの丸井がある。同社では従業員の95%を子会社に転籍させ、事実上、退職金を廃止した。また企業年金も解散した。このケースは成果主義人事改革のひとつの典型例だろう 。
同一企業に従業員を在籍させたまま、退職金をなくすのはかなり困難がある。なぜなら、退職金の廃止は労働者には不利益変更に当たり、従業員には不都合があるものとして場合によっては法的に無効とされるからである。
私の指導事例では、関西の中堅ゼネコンが従業員を全員一旦退職させ、退職金を支給し、その後に全員を雇い入れるという方法で、退職金制度を全廃するという改定を行ったが、この場合、退職金を所得税法上の優遇策で扱うかは税務上の判断を要する。実質的に雇用が継続されているにも関わらず、多額の退職金を税法上の優遇策で扱うことには無理があると考えられる。しかし、この企業の場合、退職金の廃止はこの方法で敢行した。業績悪化によるリストラではなく、一時的な高業績による税金対策だったのだが、顛末は他の事情と合わせて管轄税務署の判断となった。
近年、退職金を増やさない制度改定や切り下げを推奨する人事コンサルタントの売込みがある。曰く「退職金制度をこのまま放置すると、退職金倒産がある」というのである。しかし、一旦支払いを約束した以上、それを踏み倒すわけにはいかない。一旦作った退職金を実際に計算したら大変だ、退職金クライシスだと騒ぐほうがどうかしている。退職金の改定は可能だしやらないといけないが、やり方次第で、従業員との信頼関係は根本から変化することになる。
ポイント方式など退職金算定の方法はいろいろあり、私自身も何十社も退職金制度を作った経験がある。しかし、よくよく企業と従業員の関係をどうしていくのかを考えずに世間並みの制度にしておこうという発想は時に危険である。一体、どんな「世間」なのか、考えないといけない。
退職金の性格
そもそも退職金が何なのかも考えないといけない。退職金に関してはその性格について戦後、労使で議論されたことがある。労働側がいうには「賃金後払い」であり、経営側がいうには「功労報奨」である。退職金は何のために支給されるのか、その性格をどう捉えるかによって制度作りも大きく変わってくる。
賃金後払いの視点に立てば、老後の生活保障ということになってくる。生涯を一企業に過ごす人にとって老後の暮らしの糧も貯金か年金、それ以外には退職金しか当てにするものはないだろう。しかし、功労報奨ということになれば、経営側が長年の貢献度を考慮し、その裁量で払うことになり、水準の多寡をうんぬんされにくくなるだろう。いうなれば賞与に近いものになるだろう。
また退職事由によって退職金を増減するというのは、離職を回避し、人材の足止めを図るという趣旨にかなっている。それは退職金の労務管理的機能と言われることがある。
退職金算定の方式
最後に多少具体的な制度設計の際のポイントにも触れておきたい。
退職金を算定する最も多い方式は、退職時における基本給などの算定基礎額に勤続年数に応じた勤続係数を乗じて算定するものである。さらにここで、退職事由によって減額することがある。つまり、自己都合の場合、それを半分にするなどの運用を行うことも一般的である。
この方式は、退職時の基本給に退職金が依存するため、基本給のベアや定昇の影響を受けることになり、いつのまに退職金が増えていたということになる可能性を否定できない。そういう意味で危険かもしれないが、在籍者に関する履歴情報を管理しないで退職金を算定できるというメリットがある。自社の在籍者の勤続年数すら管理していないということは珍しいだろう。
これ以外に典型的な算定方式としてポイント式がある。この方式は、月例賃金を算定基礎とせず、勤続年数と職能資格等級に対応したポイントに単価を乗じて退職金を算定する方式である。ゆえに職能資格制度の整備が前提になる。長年の資格等級の昇格をトレースして退職金を算定することで、貢献度や活躍度を反映する方式になることから、しばしば推奨されている。
この方式は職能資格制度が完備されていることが前提だが、一方で職能資格制度を新たに導入することには慎重な企業が多いし、職能資格制度の導入でも資格等級の削減というようなブロードバンディングが多くなっている。こういう制度改定でも連動して制度を見直さないといけないという問題が残る。
先行企業では職務等級制度など人事制度のフレーム自体を刷新することも多い。私個人の意見としてはあまり薦められない方式で、退職金自体を独自の別表管理にするという発想のみは参考になると思われる。ポイント方式に関しては、実際の賃金格差をおおむね反映するものとするなど国税庁のガイドラインがあり、自由に制度設計することが許されているわけではない。他の方式を採用する場合よりはるかに煩瑣な割に支給格差が極端につくわけではない。
ポイント方式の退職金では、いつくかのバリエーションがありうる。例えば、役職在任期間に対応した役職ポイントを付加したり、同じ職能資格等級でも毎年の人事考課ランク別に差のある職能ポイントを設定する例もある。ただし、こうなると、ますます人事情報システムなどで過去の人事情報履歴を管理しないといけなくなる。
そこで、代替する方式として考えられうるのは、自社、自組織の役職などを基礎にして、その在籍期間に応じて退職金を算定する方式などがはるかに簡便である。私は、別表方式と呼んでおり、私が制度設計する場合はほとんどこの方式を採用している。
支払準備では、支払準備額を確定していく方法が考えられる。つまり、基本給水準や役職などによって退職金支払準備の掛け金を設定し、その掛けた額を本人に支給するやり方である。ただし、外部に積み立てる場合、本人に直接支給されてしまい、退職事由を反映させられないという問題が残る。その場合は、自己都合分を積み立て、それによって決まった額の何割かを割増し分とするなどの方式を併用すればよいだろう。いずれにせよ、この辺は企業の事情などを考慮した政策判断となってくるだろう。
自社の退職金について抜本的に考え、定年制や定年延長、中高年処遇などとも関連させながら検討し、制度作りしていくことが求められる。専門家の意見も参考になると思われる。
ポイント方式退職金制度の例
ポイント方式退職金制度は、一般に下記のような方法で退職金を算定する。
●退職金=(勤続ポイント累積点+職能ポイント累積点)×単価×退職事由別係数
<勤続ポイント>(例)
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勤続年数 |
~5年 |
5超~10 |
10超~20 |
20超~25 |
25超~30 |
30超~35 |
35超~ |
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付与点数/年 |
10 |
20 |
25 |
30 |
25 |
20 |
0 |
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<職能ポイント>(例)
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職能等級 |
社員3~1級 |
主任 |
副主事 |
主事 |
主査 |
副参事 |
参事 |
参与 |
理事 |
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付与点数/年 |
10 |
15 |
25 |
30 |
25 |
40 |
45 |
50 |
60 |
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<退職事由別係数>(例)
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勤続年数 |
~5年 |
3超~10 |
10超~20 |
20超~30 |
30超~ |
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付与点数/年 |
0.0 |
0.5 |
0.7 |
0.9 |
1.0 |
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会社都合・定年等 |
1.0 |
1.0 |
1.0 |
1.0 |
1.0 |
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<ポイント単価>(例)
1000円/点 各人の勤続年数と職能資格等級に応じて、上記の表に該当する1年当たりの点数を付与し、それを退職時まで累積したポイント数に単価を乗じたものが退職金額となる。上の例では、これにさらに退職事由別係数を乗じることになる。
※日本労働研究機構のサイトより抜粋
ポイント方式退職金制度の特徴
(1)退職金算定基礎に賃金を用いないこと
よく見られる退職金算定方式は、「退職金算定基礎額×勤続年数別支給率」で、算定基礎額には退職時の基本給またはその一部が用いられている。このように退職金の算定基礎に賃金を用いると、昇給やベアが自動的に退職金に反映されることになる。つまり退職金水準が賃金水準に連動し、退職金固有の水準管理が困難となる。これに対して、ポイント方式は、退職金の算定に賃金を用いないので、賃金と退職金を別のものとして管理することができる。
(2)在籍期間全体を通じての功労に報いる能力主義的な運用ができること
従来の算定方式では、基本給の最終到達水準のみが算定基礎となるので、勤続年数も退職時基本給も同じ人は同額の退職金となる。これに対して、ポイント方式では、毎年の職能資格等級に応じて職能ポイントが付与されるので、勤続年数と最終到達資格が同じでも、昇格スピードの差が退職時の職能ポイント累積点に反映される。つまり、在職期間全体を通じて、能力発揮度の高かった従業員ほど高い資格への格付け年数が長いと考えられるので、より貢献度に見合った能力主義的な退職金制度となる。
(3)退職金の算定基準が明確になること
ポイント構成を勤続年数と職能資格の2つに分けているので、退職金のうち「長期勤続による功労に報いる部分」と「在職中の能力発揮による功労に報いる部分」との区別が明らかになる。長期勤続者について勤続ポイント付与点数を逓減させることにより、勤続年数だけで退職金が増えていくのを抑制するなど、企業の労務管理政策をより明確に反映させることができる。また職能資格のポイントだけで設計することもケースとしてある。
(4)退職金の水準管理が容易であること
退職金の水準改定は、通常、ポイント単価の改定によって行なう。そのため、水準の管理が容易で分かりやすく、メンテナンスがしやすい。ポイント単価は運用で改定しないことが大半だが、切り下げが可能かは議論の余地がある。
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