株式会社JEXS
 ◆目標管理において陥りがちな失敗の原因と成功のためのポイント

《目標管理を成功させるためのポイント》
・ 目標管理では動機付けを重視する。
・ 目標管理では上司と部下が一丸となって課題解決に当たるスタンスが重要。
・ 処遇決定をちらつかせて部下を追いつめる運用は避ける。
・ 目標管理は業績評価の仕組みとしては必ずしも成功しない。
・ 業績評価の徹底が必ずしも業績の向上をもたらさない。
・ 自発的に取り組む動きが見えてくれば十分に成功。その際にコンピテンシーが役立つ。


目標管理が現場で成功しないのはなぜか?

  目標管理は今日、人事実務家において最もマインドシェアの高い人事システムである。企業において人事改革が語られるとき、ほぼ例外なく、人事担当者は、目標管理を重要な制度改革の一齣として取り上げ、場合によってはそれが新しい人事管理システムの中心になるとさえ考えているように見受けられる。とりわけ、成果主義的な報酬改革が進められると、個人の実績状況を記述する目標管理が必要となってくるとされることが多いようだ。しかし、導入してしばらくすると、この目標管理がうまく行かないと問題が浮上することも少なくない。むしろ、ほとんどが失敗しているという声さえ聞かれるほどだ。

  私自身も実は、コンサルタントとして関係者と話し合い、問題が生じそうな場合は必ずしもこの制度の導入を勧めていない。むしろすべからくあまり勧めないといっていい。しかし、そんな企業関係者に限って、この制度はどうしても必要なものなので、何が何でも導入するといってクライアントが聞かないことがある。

  なぜ目標管理が企業の人事担当者にとって重要なシステムと考えられるのだろうか。相談したコンサルタントを振り切り、他のコンサルタントを余計に雇ってまで導入に踏み切るとはただ事ではあるまい。診療や治療の場合にたとえて言えば危険極まりない話である。
この点につき、表層的には制度改定のコンセプトを打ち出す人事コンサルタントやコンサルティング会社が盛んに目標管理を推奨しているということが1つにはその背景としてあるかもしれない。実際、人事管理の中で目標管理を重要なものとして位置づけて解説した実務書は数多く出されているし、業績評価と目標管理は本来的に密接不可分であることを自明のこととして議論する解説も人事実務系雑誌に示されている。具体的にはどのような理論的背景があるのだろうか。

  まず、業績評価において職務を横断するような基準を設定することが本来的に難しいことがある。一般に、業績評価でよく用いられる評価基準項目は、「仕事の質」、「仕事の量」、「勤務状況」などがある。またこれらは英語圏の人事評価に関する記述でも取り上げられているものだ。ところが、仕事の質と量にしても、何が量で何が質なのか、その切り分けが難しく、まして職務ごとにそれぞれのウェイトを設定することは困難となる。そこで、個々の項目設定を避けて、現場で評価基準を決めていく目標管理が人事制度を運用する当局からは簡便な方法となってくる。つまり、人事企画部門が自前で評価基準を設定することを放棄し、現場任せにしていくことから、目標管理が切望されたのである。いうなれば、評価基準に関する現場への丸投げが目標管理普及の最大の要因なのである。

  私の知るある中堅企業(従業員数1200名)でも人事課長がほとんど罫線だけの目標管理型業績評価フォームを持ち歩き、各事業部門に「業績評価の基準項目を埋めてください」と迫った例がある。もちろん、現場からは反発を食らったが、何となく項目や指標が埋められていくものだ。結局、人事制度の整備は先送りされ、担当課長が異動し空中分解したが、目標管理導入を失敗させる伏線にはそんな乱暴さがあるように思われる。

  次に、目標管理は日本企業で進められている成果主義とも関連していることを指摘しておきたい。もとより成果主義に関しては議論も多いが、実務的な「現象としての成果主義」は、人件費の抑制と変動費化、年功賃金で割高感のある中高年層の報酬削減である。さらに業績評価に基づいて処遇格差をつけようとする動きも活発化していく。自由化、規制撤廃が進められる医療業界も例外ではなく、この10年ほど成果主義的な人事改革が急ピッチで進んでいる。

  仮にある管理職の年俸を引き下げるとすると、ある年度の実績、貢献内容が記述され、それが現在の年俸に対応しているということにする。その上で、次年度以降、年俸が下がるのは、実績や貢献内容が劣化/低下したことがその理由となる。つまり、目標管理が年俸を下げる際の説明道具と位置づけられていることが少なくなく、その際の評価基準として目標管理が活用されるのである。目標管理のシートには、当該職員の貢献内容が記述され、年俸が下方修正されることの理由付けに使われることも少なくない。もちろん、総額の人件費が抑制される中で、年俸が上方に更改される職員が多少はいるかもしれない。

  次に、目標管理は職能資格制度の改善、高度化にも関係している。従来の職能資格制度への反省として、実績を上げることに対する関心がややもすると希薄となり、自分自身の職務遂行能力、しかも明示されやすい職務関連の知識の習得に走りやすいという問題が指摘されてきた。これに対して、会社の取り組んでいる事業戦略を従業員に意識させ、戦略推進への寄与度合いで個人を評価し、成果を配分することが望ましいという考え方が生まれてきた。端的にいえば、戦略と人事システムを連動させるのが目標管理になるという視点である。

  もともと日本企業にあった方針管理は、全社的な方針を部門単位へ、さらに個人単位にまで落とし込み、業績評価の基準とすることが一部の企業で試みられてきた。トップダウン方式の方針管理とボトムアップ方式の目標管理は本来、似て非なるものであるが、日本では実際の目標管理の運用に関して方針管理の色彩が濃いし、むしろそうあるべきだとする主張が少なくない。つまり、戦略や方針のブレークダウンの手法として、目標管理が位置づけられているのである。ただ、方針管理と目標管理の、時に矛盾する性格を認識しないで推進されることが少なくない。というのも、目標管理は、ボトムアップのアプローチを採ることで、モチベーションを向上させる手法なのだが、日本への導入当初からそのようにはなっていないことが指摘されているからだ。つまり、方針管理の色彩の濃い目標管理は往々にしてモチベーションを犠牲にして推進されてしまうのである。

  幸田一男は、「高度経済成長が一巡し、オイルショックによる2度の不況がやってきたとき、日本に紹介され不況対策として導入されたのが目標管理であり、度重なる理論紹介にもかかわらず、その実態はノルマ管理であることが多かった」と指摘する。90年代後半以降の今日、医療業界を含むさまざまな産業界でデフレ時代が到来している。そんな中で、不況対策としての成果主義が論議され、目標管理が切望されるのは繰り返される歴史なのかもしれない。ところで、ここに指摘される実務と理論のずれとはどんな点にあったのか。

  目標管理はもともとドラッカーによって創出された概念である。『現代の経営』(Peter Drucker "The Practice of Management" 1954)には、結果/成果だけを評価すべきであって人種や性別はもちろんのこと、性格を問題にするのは人権侵害(usurpation)であると述べられている。同書の「目標と自己統制」という章では、目標による管理の必要性が強調され、経営者の直面している課題は、人間の本来持っている意欲をどう引き出すかにあるとされている。その上で、科学的管理法や人間関係論が批判されている。科学的管理法に関して、人間は同じ動作を反復して行なうことは向いていないので、そもそも計画と実施の分離は好ましくなく、本来、それは1つの職務のもつ2つの側面であり、双方の要素を含んでいないと効果的に遂行されない。一方、人間関係論は、動機付けには着目したものの、仕事に焦点を合わせなかったと批判され、仕事や職務を中心に考えるべきである。人間関係論は、気難しい子供をなだめるシロップに過ぎない。人間の仕事に対する原則は「統合化」であり、これは多くのものを合わせてひとつの全体をつくり、判断し計画し変化させることであり、それによって人間独自の能力を活用することである。そしてこのような統合化は、「目標と自己統制による管理(Management by Objectives and Self-Control)」(MBO)に他ならない。組織における目標とその体系化が必要であり、その展開は自己統制を主軸とすべきで、上司による厳格な指揮・指導はもはや今日的でない、とされている。

  ドラッカーは、人間の特性についてのアセスメント中心の評価から、目標設定に焦点を置いた人事管理手法の開発へと移行させた点に意義があった。しかし、実務的にはマグレガーが目標管理型の業績評価の実現に寄与したとされている。すなわち、マクレガーは、部下に責任を負わせ、業績プロセスで部下と上司が責任を分担し合うようにすべきだとし、このような考え方をGEやゼネラル食品などの企業に導入した。管理者の役割も、セラピストとか心理学者の役割を期待するのではなくて、コーチに徹するものと主張した。GEでは、業績向上につながるコメントの仕方について、動機付けの観点で研究が進められた。

〔GE研究から得られた知見〕
  1. 批判すること(criticism)は、目標達成にネガティブな影響を持つ。
  2. 称賛することは、ワンウエイに行ってもあまり効果がない。(一方的にほめても無駄)
  3. 業績は、ある目標が達成された時、最も向上する。(この場合の業績は働きぶりや実力に近い意味)
  4. 批判的な評価から起こる個人の自己防衛は、業績をお粗末なものにしてしまう。
  5. コーチングは、日々行なうべきもので、年に1回だけのことではない。
  6. 上司と部下が一緒になって目標設定すると、業績が向上する。
  7. 業績を向上させるために初期設定された面談/インタビューは、同時に昇給や昇進についてバランスよく行なうべきではない。(つまり、別々に行なうべきだ)
  8. 目標設定の手続きに従業員を参加させると、好ましい結果をもたらす。

  ここで注目したいのは、目標管理を推進する際、昇給や昇進などをちらつかせて行なうことは成功しないこと(上記の7)が60年代の米国でも共通認識となっていることだ。日本の人事賃金実務では、目標管理と業績評価をセットで行い、さらに昇給や賞与の査定プロセスに目標管理を織り込むことが重視されている。しかし、このようなアプローチは行動心理学的には無理があるのである。端的にいえば、日本でしばしば唱えられている目標管理のあり方は人間心理のありようからいえば、動機付けに失敗し、その結果、個人の業績を低下させてしまうものとなっているのだ。

  ドラッカーの考え方をさらに具体的に展開したのがシュレイであり、「結果による経営」(Schleh, E. "Management by Results" 1961)を提唱した。シュレイの言う結果とは、Expected Results (期待される結果)であり、目標と同じことだ。シュレイは、結果に対する標準/最高業績目標といった複数の目標やバランスが崩れるのを防ぐ反対目標などについて具体的に論じている。また結果に対する責任(アカウンタビリティ)と権限の関係、ラインとスタッフの間の目標や責任など運用上重要となる問題についても言及している。シュレイの著作は、上野一郎氏によって『結果のわりつけによる経営』として訳出され(1963年)、日本における目標管理の普及に画期的な意味を持ったとされているが、働く側の人間的側面への考慮は十分でなく、ノルマ管理と捉えられる傾向があったと指摘されている。

  その後、マクレガーの『企業の人間的側面』McGregor "The Human Side of Enterprise" 1960が訳出され、この本は非常に大きな影響力を持った。この意義について、目標体系を整えて経営をすることの効果性は理解されたものの、目標設定での高い意欲や展開への打ち込みには決め手を欠くうらみがあった、という。組織目標と個人の欲求の葛藤は、組織内の各人が仕事そのものにやりがいを見出し、打ち込みを見せ、結果としてその達成に貢献することで解決され、このような「人間と仕事の結合」という考え方がそれまでの目標管理を補完した。マクレガーは、X理論とY理論を提唱するが、Y理論は、人間がそもそも自己実現の努力をするもので、能動的で独立した状態を好み、全体的な関心や長期的な展望を持ち、多様な行動様式とはっきりした自意識を持つ存在だとする人間観である。しかし、このようなマクレガーの説は、人間観として極端であり、またY理論で組織と個人の利害が統合されるとする見方はあまりに楽観的のように思われる。

  実は、私が最初に入社した大手メーカーでも、当時、このマクレガー説が人材教育部門の関係者の拠って立つ理論背景だったようだ。3ヶ月にも及ぶ新入社員研修で、人事部門の講師は熱く「X理論とY理論」を熱く語った。聞いているこちらは、「人間への洞察も教養もなく、学生時代、体育会系文化にどっぷり浸かった人だな」と思ったが、次のような発言を聞かされ、驚愕を禁じ得なかった。
  「うちの会社はY理論でやっている。とことん社員が働くから、好きなだけ残業できる」
  「楽しくて楽しくて仕方ないから、残業代は受け取らない」
  「やらされるのではなく、自ら取り組み、嬉しさのあまりに狂喜乱舞し仕事に邁進する」
  「うちには労組がない。だから、残業の邪魔をされずに思い切り働ける。だから、組織も強い」
というのだった。

  冷静に考えると、依存的組織マゾを作り出す倒錯した言明のように思えた。当たり前の皮膚感覚では無理のある考え方だ。
この会社は、佐高信氏にも危ない会社の筆頭格にされていた。だから、極端な例かもしれない。実際、労組があれば、こんな発言はできないだろう。しかし、このような思想、イズムは日本企業の底流に脈々と流れ、組織のDNAに組み込まれているのではないだろうか。

  このような「Y理論推奨型」イズムが会社に果てしなく長時間張り付く持久戦をもたらし、かえって事務系サラリーマンの創造性や仕事の喜び・楽しみを破壊したのではないだろうか。

  過労死研究者の大野正和氏は、過労死に至る人が純粋で生真面目な人だとしているが、このような悪しきDNAはまさしく「死に至る病」(キルケゴール)であって、日本の組織の癌細胞だと思えて仕方ない。また目標管理がどこか運用時点にあって不協和音を引き起こすのは、したくもないことを喜んでするとみなす無理やりさ、独り善がりな強引さにあるのではないだろうか。日本人が陥りがちな痩せ我慢、その来歴にあって、常に一連の行動科学思想とそれを具現する目標管理があったように思われる。

  マクレガーのような「そもそも人間論」は、人の心を捉えやすいが、旧約聖書やギリシャ神話を読んでも、そんな人間とはポジティブなものか、と疑問が多い。創世記では、カインはアベルを殺し、出エジプト記では、アブラハムはエジプトでいじめにあった仲間と脱出を試みる。人間とはもっと自分本位で身勝手、気ままな存在で放置すると、何をしでかすかわからないもののように思える。日本でも芥川龍之介の小説には、戦場で鉄砲の硝煙と血の臭いの立ちこめる中、死人の鼻を削いで集める荒くれたもののふが描かれている。武勲をでっち上げるためにそうしたわけだが、まさしくそれは人間の本性ではないか。現代では殺人事件こそそうそうないが、組織の人間的実態はそちらに近いと思われる。いずれにしても、生きた人間の姿に迫ったマネジメントを考えないといけない。

  日本では、今日、成果主義への移行の中で、目標管理に注目が集まっている。しかし、上司と部下とで協働して課題に取り組み、動機付けを高め、より意欲的に取り組んでいくという動きには必ずしもなっていないように思われる。むしろ、上から下へと業績責任を転嫁し、割り付けていくことがメインストリームになっている。しかし、これでは、目標管理が成功することはないのである。動機付けに成功させるという視点が何よりも重要なのだ。

  実は、講師をしている日本大学の大学院で学生諸君と輪読した本に、アーモッドの産業・組織心理学(Aamodt, Michael G. "Applied Industrial/Organizational Psychology" Brooks/Cole Wadsworth 1999)がある。これは米国では最もよく読まれている教科書の1つである。この本には、動機付けに関する章に目標管理が採り上げられており、業績評価に関する章には全く目標管理については触れられていないのだ。米国でも、目標管理ないし目標設定が議論されるとき、それはどうやってやる気を起こさせるかの問題となっているようだ。

  いくつかの業績評価に関する文献(例えば、GroteやWhetzel等がある。Grote, Dick "The Complete Guide to Performance Appraisal" Amacom 1996 Whetzel, Deborah L. et al "Applied Measurement Methods in Industrial Psychology" Davies Black 1997)を読んでみたところ、現在の米国では業績評価と目標管理が密接でないことが判明した。たとえば、グローテは、業績評価の基準を成果、行動、特性などに分けており、職務ごとに設定すればいいと説明している。成果/結果の見えやすいセールスなどの職務では、成果/結果を重視した評価基準がなじみやすいし、わかりやすい。しかし、事務などの職務では何をもって成果にするかがあいまいで客観的にはなりにくいのである。ゆえに、行動で評価することもありうるし、その場合は成果を考慮しない業績評価になる。行動を評価するとはどういうことか、この点についてグローテは次のような例を示している。

  グローテは、受付担当(Receptionist)を例にしてBARS(行動アンカー方式)(BARS Behavioral Anchor Rating Scales)の作り方を説明している。受付に関しては、重要な要素(Critical Elements)として5つの場面が設定されている。

  ¨ オフィスへの来客への挨拶
  ¨ 電話応対
  ¨ タイプ
  ¨ メッセージのお預かり
  ¨ 植物に水をあげる

  これを踏まえて行動サンプルを集め、5段階に行動を整理されている。

評定 行  動
5   1回のコールで電話を受け、苛立った相手方でも和やかに接し、相手に親近感があるとほめられるほどである。
4   名前と部署を名乗り、いつも適切な部署に電話をつなぐ。
3   こんにちは、と答え、相手方の返事を待つ。
2   電話をすぐに保留し、60秒経ってしまってコールがなることがある。
1   何ですか、と答えて、返事がある前に電話を切ってしまうことがある。


  この例でいえば、5つの場面ないし職務に関してそれぞれ5段階に評定することができ、仕事の重要度でウェイト付けをすれば、受付の業績評価を行なうことができる。もちろん単純に合計してもいいだろうし、低いところに関してはペナルティを課す集計法もあるだろう。また具体的なフィードバックも可能となる。
  このような行動アンカーに関して、グローテは、次のような利点と欠点をまとめている。

〔BARSの利点〕
  1. 評価者と被評価者の高い納得性(acceptability)、公平感がある。
  2. 高い信頼性と妥当性に寄与する。
  3. 好ましい議論の巻き起こしに寄与する。
  4. 業績向上に寄与する。

〔BARSの欠点〕
  1. 両端の出来事は拾いやすいが、中心の出来事は切り分けにくい。
  2. 完璧で重複のないディメンションを作るのは難しい。
  3. 評価者にとって、フォームにある出来事からポイントを決めるのは案外難しいことがある。
  4. フォームを埋めるのは簡単だとしても、評価期間を守ってつけさせるのが難しい。
  5. BARSで業績評価システムを作るのは恐ろしくコストがかかる。
  6. 他の業績評価のアプローチ法と一緒で、評価者の訓練をかなりやらないといけない。
  7. 生み出した成果ではなく、むしろ行動が重要な職務には適しているが、成果本位で評価するほうがいいものもある。
  8. 全体としてしっかりしたものを作り、証拠固めしていないと、単なるグラフィックスケールと差がなくなってしまう。

  グローテは、一概には行動アンカー方式が優れているとは言えないし、それに要する手間隙が正当なものかはなかなか難しいし、画期的だと大騒ぎする割に、十分にサポートされてこなかったという指摘(Landy and Farr,1982)を引用している。

  このような行動アンカー方式は、スミスとケンドールによって考案された(Smith and Kendall,1963)。頭文字を取ってBARS(バース)と呼ばれることも多い。最初の事例は、医療業界になじみの深い看護婦についての評価を行なうために、作り出されたようだ。この二人も名前からして女性である。米国看護連盟の依頼によると書かれている。日本では高橋潔(南山大学助教授)らの研究などで早くから紹介されている。この方式では、評定段階について重要事象(クリティカル・インシデンツ)を示し、どのような行動ないし出来事を示す場合、その評価をするのかを明示しようとする。これによって、評価者の解釈や思考の余地が制限され、評価の水準合わせには効果的であるが、評価者は出来事の表示には目をやることなく、評価してしまうので、寛大化傾向を低減することができないという現実的な指摘がなされている。ただし、このような評価尺度の設定を工夫することは、業績評価に関して話し合う際に客観性を持たせるツールにはなるかもしれない。

  目標管理を実施しても直ちに業績評価がうまく回っていくわけではないことは指摘してきたが、それが上司と部下がスクラムを組んで職場にある問題を解決するための話し合いをやっていく仕組みになっているのであれば、それなりの意義がある。そこを取り間違えて、組織全体の方針や目標を下に丸振りする仕組みと勘違いしているケースは少なくないのである。

  私の知るある企業の事例でも、長年、営業会議で売り上げ実績を中心とした追及だけが行なわれていたが、目標管理によって全社員の日常の行動について定期的に話し合うようにしたところ、末端の社員についても、何をやるべきか、今後どうするかを話し合うことができた、という。その結果、営業ノルマを持たない中堅社員の動きがよくわかり、評価もしやすくなったという事例がある。この会社は仕事中心のコミュニケーションがよい形で回り出した例といえよう。結果さえ出ていればプロセスは問われない状況では、担当顧客がどうとか担当職務がどうとか、実績をもたらす利権の奪い合いになりやすい。目標管理では、行動プロセスを事実関係中心に見つめる姿勢が大切となる。結果だけではなく、行動プロセスに愛情ある眼差しを向けることで、人は意欲を持つものである。

  目標管理では、単に実績を追及するのではなく、ありのままの行動を同じ高さの目線で上司と部下が共に見つめ、改善向上していくスタンスが必要である。それさえあれば、組織の活性化の糸口はつかめるように思える。そうでなければ、逆の結果を招くことになるように思われる。目標管理によって下位者への追及を合理化しようとする意図があるなら、それは組織を好ましい方向には導かないかもしれない。

  目標管理とコンピテンシーの統合であるが、コンピテンシーは目標管理には一定の意義がある。そもそもコンピテンシーは部下のパフォーマンスを向上させるてがかりになるべきものである。上司と部下との話し合いにおいて、よりいっそう自己の業績、成果を向上させたいと願う部下に、上司が愛情をもって接し、親身にその指導育成/コーチングをしようとするときによき指標となると考えられる。
Copyright© 2010 JEXS All Rights Reserved                                                                                     著作権/リンク | 個人情報保護方針 | お問い合わせ